山田: |
私は環境系研究室で大学院を修了してから清水建設に就職し、地域冷暖房など環境と関連する施設の設計に7年間携わっていました。でも自分の関心とのずれを感じるようになったんです。学生の頃から日本の風土に合った民家などに惹かれていましたが、そうしたスケールの設備設計になるとプラント設計になりますから。それで長谷川敬アトリエという設計事務所に転職してさらに6年間ほど実務を積み直しました。
長谷川さんはパオロ・ソレリのところにもいた方で、建築と環境について長年考えてこられた方です。当時は「東京の木で家を作る会」という地産地消の家づくりグループを立ち上げてまもない頃でした。そうした活動が知られたらしく、あるとき長谷川さんにパーマカルチャー・センター・ジャパンから講演の依頼があったんです。それについて行ったのがパーマカルチャーと具体的な関わりを持つようになったきっかけです。
「パーマカルチャー」というのはパーマネント・アグリカルチャー&カルチャーを縮めた造語で、生態系をベースにしたデザインの仕組みを人間の生活にフィードバックしようという考え方です。実はこの言葉自体は学生時代から知っていました。当時、環境と建築を融合させる試みを色々と紹介した『バイオシェルター』という本が出版されて、その中にパーマカルチャーも含まれていたんです。もっともその頃も知名度はそんなに高くなかったとは思います。
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