スマート化とwith/postコロナのまちづくり

(2) スマート化における市民参加

 スマート化で市民参加がいかに重要かについて、「SIDE WALK LABS」というGoogleの子会社が進めていた、トロントのウォーターフロントでのスマート化事業が頓挫した事例があります。
 スマートシティについての概念的・構造的な整理は上手く行われ、魅力的なスケッチが示されていましたが、参加のプロセスを整理した図を見ると、市民からはアイディア・提案を集め、良いものを採択するというもので、これだけでは形式的な参加にすぎないと市民から評価されてしまいました。一緒に作り上げる形にはなっておらず、批判的な意見に対しても紳士的に検討してそれを乗り越えることによって計画の価値がより高まるのですが、そういった処置をとっていませんでした。カナダの都市計画はイギリスのように計画許可制で、市民の意向をベースとする都市計画が馴染んでおらず、カナダの市民は民間企業が先導して進めるということが想定できなかったのだと思います。こういった難しさもあり、コロナをきっかけに撤退してしまいました。
 日本では、民間企業が地域の方と連携するノウハウがある程度あり、社会的にも受容されています。民間企業や市民が連携して協力しながらスマート化を推進していくようなスマートシティが理想的なのではないかと考えています。

(3) 都市と地域の本質価値:コロナの影響を受けて

 都市・地域とは、皆が価値と思える場所 (place) と、そこへの移動 (link) であり、都市計画はそれを保証し、また制限するための手段といえます。コロナの問題は、改めてこれら都市の本質について考え直す契機となっています。
 歴史を振り返ってみると、都市計画やまちづくりは、コロナのような感染症をきっかけに生まれてきたものです。イギリスでは18世紀後半から19世紀前ごろから産業革命を経て徐々に都市に人口が集まる中で、スラムや過密居住といった問題が生じました。例えばグラスゴーでは、日本でいうワンルームの住居に三世帯が住んでいるような状態が普通にありました。近代化する過程で、この過密居住と工場と住宅が隣接することによる工場の排水や煤煙の公害問題が、感染症に関わる大きな問題でした。これに対処するかたちで生まれてきたのが都市計画です。
 イギリス近代に成立した公営住宅の当初の目的は、健康で良好な生活環境を労働者に保証するということです。都市計画法成立前にできた公衆衛生法により公営住宅が計画され、今でも非常にきれいな街として残っています。レッチワースという田園都市のような発想がイギリスで生まれてきていて、ドイツでも同じような方法で、マスタープランによって住宅と工場とちゃんと分離して、分離したところをサーキュレーションや放射状の公共交通、道路ネットワークなどでつなぐわけです。郊外をつくりだして、郊外に労働者が住めるような住宅地を整備していく、工場は川沿いや海沿いに集約していく、職と住を分離していく。楽しむ場やオフィス、住宅とうまく分けながらつくっていく、住宅地では公園や採光通風も十分に取れていて、という非常に機能主義的な考え方ですね。日本でも計画的な団地はこうした基準にのっとっています。ウィルスが紫外線で不活性化するということで、太陽の光のある場所を確保しようとしています。自然の力を使えば、感染症は防げるはずです。都市部に人口が集中してきた中で、もう一度ライフスタイルを見直さなければいけない時代だと考えます。