趣味としてのDIYの面白さ
以前このHP企画で大久保恭子さんにマンションの商品企画の話を伺ったことがある。その中で今でも記憶に残っているのは、稽古事と生活、住まいの関係についての話だ。
例えば、英会話を習うと自分の会話能力を試したくなって海外旅行に行く。料理を習うと、家に人を呼んで腕を振るってみたくなる。楽器を習うと、家に訪ねてきた人の前で披露したくなる。英会話−海外旅行の関係は別として、余暇時間が増え稽古事がはやると、住まいの中にその成果披露の場が必要になってくるという主旨の話だった。
さて、今回DIYの取材をして、無精者の私にも、その余暇時間を使った趣味としての現実味がよく理解できた。私自身にやる気があるかどうかは別として、なかなか興味深い趣味だ。
個人個人で相当な工夫の余地がある。サポートする道具も想像以上に発達している。企て、道具、汗、失敗、完成後のビール。「生」の実感と結び付き易いのも趣味としてはなかなかのものだ。そして、何より生産的だ。趣味によって自分の住まいの姿がどんどん変わっていくのだから面白い。
ただ、あまりにも生産的なので、家が広くないと折角磨いた腕を発揮する場がすぐになくなってしまう。自宅の庭や市民農園での食糧生産等と合わせ技にすれば丁度良いかもしれない。更に機織りまで手を伸ばせば、衣食住がカバーできる。趣味としては行き過ぎか?
(松村秀一)
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