これは現代集落の最先端に違いない
本インタヴューシリーズ 『ライフスタイルを見る視点』の第59回で取上げた、和歌山の漁村集落「冷水浦」で空き家たちを新たな暮らしの場に変え続けている「旅する大工」、伊藤智寿さん。その伊藤さんが、私が勤めることになっていた神戸芸術工科大学のかつての卒業生だということを知り、伊藤さんと同じように面白い活動をしている卒業生の方々を連れてきて、学生の前で話してほしいとお願いしたところ、二つ返事で引き受けて下さった。そして、ある日伊藤さんは数名の先輩や後輩と連れ立って、学生たちの前で座談会をしてくれた。この時、親しい先輩の一人として来校したのが西村周治さんだった。
西村さんは既に「廃屋建築家」等という名称で、マスメディアでも紹介されていたし、以前対談させてもらった久元喜蔵神戸市長からも、西村さんの「バイソン」の話はお聞きしていたので、それらの断片的な情報から「優しそうな前衛芸術家」というイメージを勝手に抱いていたのだが、実際はきちんと理屈の通った活動を積み重ねてこられたのだということ、そしてその活動は前衛的というよりも先端的というべきものだということを、本学での座談会を通してよく理解した。それ以来「バイソン」に行ってみたいと待ち焦がれていた。
久元神戸市長に限らない。東京の知り合いも含めて、「この間、神戸の『バイソン』に行ってきました」とか「今度、神戸の『バイソン』に行きます」という人が多いことも、私の期待を刺激し続けていた。
そして、遂に「バイソン」訪問がかなったのだが、それは私がイメージしていたのよりも、遥かにきちんとした眺めの良い住宅地にあった。交通の便も決して悪くなく、神戸の中心にも近いこんな場所が空き家だらけになっているということ自体が驚きだった。人口の減少と超高齢化がもたらす日本の都市の先端的な風景だと思った。
西村さんはそのある一体、「集落」とも呼び得る数の建物を管理下に置き、どこからどう集まってきたのだろうかと不思議に感じるような多様な人々が、常時建物を新しい暮らしの場に変えるための作業を続けているようだった。自分と他人の間に財産上の境界を明確に取り決め、お互いに過度の干渉をしないという原理でできていたであろうかつての住宅地が、自分と他人の境界が溶けていくような、「集落」という名称がほのめかすある種の共同性を帯びた暮らしの場に変わっている。堅苦しい近代の衣を脱ぎ捨てたこの「廃屋」のまちには、時代の先端の匂いが立ち込めているように思えた。
(松村秀一)
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