講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


8. まとめ


個人の力を再認識致しました

 広島大学にいる角倉英明さんが、基町高層アパートで板井さんを紹介して下さったのは2024年晩秋の頃だったと思います。大学院生、しかも彫刻家が、かつて「原爆スラム」と呼ばれたエリアに建設されたことでも知られるあの基町高層アパートで自治会長をやっているという事実、そして日々の大変な経験を明るくどんどん教えてくれる独特の人間力に、近年にない衝撃を受けました。それだけに、団地に興味のある人や基町高層アパートのことを知っていそうな人を見かけると、「一度広島の基町高層アパートに行って、板井自治会長に会った方がいいよ」と宣伝してきました。その結果、他の人を案内してまたお邪魔したりして、実は今回既に4回目の訪問でした。鈴木毅さんや佐藤考一さんに是非会ってもらいたかったのです。案の定、二人とも板井さんの活躍ぶりに目を丸くされていました。

 私が来た時はいつもNHKのディレクターの方がカメラを携えて板井さんに密着していて、彼女(ディレクターさん)ともすっかり顔なじみになり、今回は取材まで受けました。彼女も、固有の歴史があり今や多国籍タウンにもなっているこの巨大団地が、板井自治会長の登場によって明らかに変わりつつあることに明日の希望を感じているのだと思います。2025年10月には、板井さんを取り上げた番組が放映されるらしいので、とても楽しみです。

 このように巨大な団地が、一人の自治会長の出現で変わり始めるとは、これまで想像したこともありませんでした。それもとても若い自治会長がということですから本当にビックリです。ラジオ体操、モーニング定食、カラオケ、彫塑。中でも彫塑が団地の元気に繋がるというのは、本当に面白い現象です。アートが持つ力がここでも発揮されたのだと、とても嬉しく思いました。

 そう言えば、かつて21歳の森高千里さんが歌っておられました。「あんた知ってるだけじゃダメなのよ。身体使わなくちゃ」と(「臭いものにはフタをしろ!」、1990年より)。この点で、板井さんを見習いたいところではありますが、いかんせん前期高齢者になりますと想像以上に身体が動きません。別の方法で頑張らせて頂きます。

(松村秀一)



アーティストは根源に迫る

 基町アパートについて検索すると「自治会長は美大生」という記事が出てくる。人気児童文学シリーズ「若おかみは小学生! 」なみにインパクトあるタイトルだ。そう、よくある学生と地域のコラボとかではなく、板井三那子さんは住民であり自治会長をしているのだ。

 若い学生が自治会長というだけで相当珍しいが、さらに板井さんは住民の彫像を制作している。自治会長を訪ねてきた住民からの長時間の訴えや話を聞きながら、いつのまにか粘土でその方の像をつくっていたのだという。それが自分だと気づくと、住民の話し方や姿勢が変わるそうだ。板井さんも質問上手になっていったとのこと。創作行為が、直接、地域住民とのコミュニケーションになっているというのはこれまで聞いたことがない。

 そして気がつけば居住者の像が210体。みせていただいた彫像の現物は本格的な作品だった。妙な言い方だが、お会いしてないのに似ていることがわかる。高校生で市長賞を受賞しただけのことはある。

 実は、基町アパートは私にとって懐かしい場所である。修士論文で建築デザインにおけるエレメントのスケール分布を研究した時、単に階を積み上げただけの高層住宅とは明らかに違う、大高建築設計事務所デザインの独特のファサードに注目し、何度か訪れてダイナミックな屋上庭園も体験した記憶がある。

 今回、板井さんが自治会長をつとめる第6コアの集会室に入ることができた。エレベータを共有するコアという居住単位が新鮮である。和室にちゃんと稼働するレーザーディスクカラオケがあるのに驚かされる(全国にどれくらい残っているのだろう)。案内されて敷地内を歩くと、ファサードだけでなく、空間構成やディテールなど様々なデザインの工夫・配慮があることに気が付く。あの時代に高層住宅でこういうデザインができたのだと示してくれる建物が今も建っているのは幸せなことだとあらためて実感する。  共有の地下倉庫には住民・自治会の様々なモノが堆積していた。広島大角倉研の学生さんたちによって片付けられ展示会まで開かれると聞き、ニュータウンの住まわれた歴史を残す活動をしている私としてはたいへん羨ましかったが、ウェブのインタビュー記事を読んでいたら、板井さんが次のように語られていた。

 ただ「活性化すること」や「残すこと」を考えるだけでなく、その逆のこと、つまり「美しい終わらせ方」について思いを巡らすことも必要なんじゃないかと思うんです。

 これは当事者からも行政や専門家からも、なかなか出てこないが実は重要な視点である。

「入居前にラジオ体操に参加して色々情報を集めた」
「外国の人たちがもてなしてくれるのが新鮮だった」
「(スナックのカラオケで)それでは自治会長が歌います。天城越え」
「仲良くするためには、そっと隣にたつこと」
等々、板井さんのお話は、好奇心やフットワークやエネルギーや洞察力を感じさせるエピソードばかりだったが、その底にあるのは人や街という対象の根源に迫る姿勢だと思う。

(鈴木毅)



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