講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


9.まとめ


「ライフスタイルとすまい」、西田さんの実践
今回はこの「ライフスタイルとすまい」を鈴木毅さん佐藤考一さんとともに続けてきた西田徹さんと奥さんの「都心に家を建てて暮らし始めました」編です。
大阪に詳しくない方には伝わりにくいかもしれませんが、西田さん夫妻が暮らし始めたのは、大阪の都心そのものです。大阪市の中心部のうつぼ公園に近く、周りにはマンションも少なくありませんが、これまで、閑静な住宅地である芦屋市に住んでいた二人が引越す先としては実に意表を付いています。
まちに開く暮らしというのがそのコンセプト。建物中央部に表通りと平行して階段を配し、その前後で空間の性格を分け、前方の空間をまちに開くというその考え方は、日本の民家の空間構成とよく似ています。1階が、近所の人がすっと入ってくる土間、2階が、訪ねてきた人が気軽に腰掛けて会話を弾ませる縁側といった感じでしょうか。実際、1階には近所の子供たちが集まってきて、奥さんが習字を教え始めていますし、2階には、将来気軽なカフェのようなものにしたいと、西田さんは本格的な業務用厨房機器を揃えています。
「『コンバージョンやリノベーション等、ストックの再生こそ時代のテーマ』と仰っている松村さんには、申し訳ないですが、やっぱり家は建てるに限ります」と西田さん。夫妻の幸せそうな顔を見ていると、そりゃそうだろうなと納得せざるを得ません。「建てる」という行為そのものは、人生の重要な一部を構成するとても人間的な行為なのです。「建てる」行為を暮らしから切り離し、建てられたものの中での暮らしだけを「ライフスタイル」として取り出すのはおかしいぞというのが西田さんからのメッセージです。
「職人と話すのがとても楽しかったです」と西田さん。代理人を介さない直接的行為者同士のコミュニケーション。住宅建設が産業化する中で見過ごされてきた本質のようなものを再発見した経験談としてとても大切な言葉だと思います。
まちに開くという暮らし方とは別に、自分のために「買う」のではなく、自分のために「つくる」時間を持つ暮らし方。その楽しさ、その価値を強く感じさせられる西田邸訪問でした。さて、私はどうしようかな。
(松村秀一)



西田さんは都市に住む楽しみを教えてくれた恩人である。その西田さんがとうとう街中に自宅を建て新しいフェーズの活動を始めた。西田邸が建つのは、街についてのプロである江弘毅氏が週刊誌の企画で関西の住宅地ベストとして住所をあげた地域である。このような都心にスタイリッシュな自宅を構え、新しい都市居住スタイルを実践される西田さんが正直うらやましい(個人的には、プロ用のレンジや店舗用の冷蔵庫を備えたキッチンまわりもかなりうらやましい)。
狙いや経緯を説明してくださる西田さんの言葉の端々から、自宅建設のプロセスの中で、いろんなことを思考し、多くのものを得たことがはっきり伺える。建築の専門家でありながら大家さんに頼って賃貸アパートに安穏と住んでいる自分の状況を後ろめたく思ってしまった。

建築を街に開く場合、一般的には1階のみをパブリックゾーンにするのが普通であるが、西田邸は当初は1階を開放、いずれは2階を喫茶店的にというように、各階の前面を段階的に開放できるようになっているのがユニークである。加えて一般の人が中に入れないにしても、各階は全面ガラスで開放的であり、街に対して内部からメッセージが発信されていく。
訪問させていただいた日、既に1階の窓には、奥様が始められた習字教室の子ども達の作品が何枚も貼られており、街並の中に楽しげな表情を作っていた。周囲は住居が増えてきているとはいえ業務的なビルも多い地域なのだが、西田邸一軒の生き生きとした表情によって通りの雰囲気が変わりつつあるのだ。常々思っているのだが、個人の意志や表現が建物の表情に反映され、街によい影響を与えるのは、集合住宅中心のニュータウン等ではなかなか難しいことであり、多くの主体が住む街ならではの魅力だろう。

住居を開くというと、普通は店舗を思いつくが、考えてみると、各種の習い事やお稽古事の教室というのも、おそらくかなり長い歴史をもつ、住居の自然な開き方である。それは地域の子ども達が、自分の家庭とは異なる住まい方やライフスタイルに触れられる場としても意義は大きいだろう。そして子ども達というのは、大人どうしが付き合いを始めるための重要なきっかけ・媒介でもある。この住まい・スペースからどんな関係や活動が生まれていくか、たいへん楽しみである。

(鈴木毅)



2010年の建築学会の全国大会で,このライフスタイルのHPでインタビューしてきた内容に関わる研究協議会があった。主な主題解説者は,R不動産の馬場さん,ひつじ不動産の北川さん,浜五の星名さん,横浜国立大学の大原先生,九州大学の菊池先生,あと,このライフスタイル研究会の松村先生と鈴木先生である。大原先生,菊池先生以外は,このHPに近い内容が載っているので,参照していただきたい。私も関係上副司会を仰せつかったので,協議会の資料にも駄文を載せさせていただいた。この研究協議会に参加して,改めて,家を建てる意味の整理ができた。結婚がゴールでは無いように,家を建てることもゴールでもなんでもない。結婚したら家族から独立し,新しい家族をつくるのだから,直ぐとは言わずとも家を新築することもきわめて普通の話である。もちろん,長男で親と暮らすことが前提の場合は,実家を守っていくことになる。家を新築する際に重要なことは,出来るだけ未完成にしておくことである。ゴールではないので,完成させてしまってはいけない。最小限住めるようにしておけばいい。有名建築家の作家住宅を批判しているのは,作品として完成しているからである。変なたとえだが,ゴッホの油絵に,自分が上から筆で付け加えようとはしないように,作品というのは眺めて楽しむものである。完成しているので,せいぜい家具を置くぐらいしか出来ない。それも建物にあった家具を置かないとまずいし,増改築などしたら作品が台無しである。そんな家を建てても最初は楽しいだろうが,だんだんと飽きてくるはずである。日本人は元来飽きっぽい。そして,作家住宅は意匠を大事にしすぎて,構造と機能が破綻しているものが多い。雨が漏るとか,窓が開かないとか,エアコンが効かないとか・・・なので,作家住宅は戸建て住宅の本流になることは出来なかった。まあ,それはそれで,少ない需要と供給のバランスが保っているのでいい。問題は,大きなシェアをもっているハウスメーカーである。これも中途半端に作品化している。完成度が高く住み心地もいいだろうから,あまりそういう点では悩まない。悩まないと,人間は手を加えるようなことを考えないので,頭も動かず,ライフスタイルも変化しない。残る住まいは,集合住宅であるが,言うまでもなく,制約が多すぎて何も出来ない。新築分譲マンションを買った人は,次売るときに価値が下がらないように,出来るだけ汚さないようにする。本末転倒である。家は,家族が生活していくための道具,生きることを考える道具でしかない。いじくり回して,壊して,作り直して,の繰り返しである。それを自分たちが体験していくことで,生きる意味を家と一緒に考えることが出来る。家は物ではないし,空間でもない。確実に生きている生命体である。そうしてようやく生活を営む器として正常に機能し,生きられた家になっていく。コンバージョンやリノベーションの事例が生き生きと見えるのは,そこに関わる当事者がものづくりの楽しさを思い出し,そこから生まれる様々な人・モノ・コトの関係性の連鎖に興奮していることが,他者から見ても分かるからである。今まで,押さえつけられていた様々な制約から解放され,建物を住まいとしていじりくり回せるので楽しい訳である。この点について内容的に批判するところは特にないが,建築を家業にしているものにとって,そういう人が増えたら飯が食えなくなるので,早めに潰しておきたいところである。もっとも草食系男子が多い時代に,そんなパワフルな人が多くいるとも思えないので,無用な心配だろう。いやいやまてよ,私も草食系である。家を建てようと思って色々考えるようになり,行動派に移行しつつある。やはり,早めにストックの建物も元気な人も潰しておいて,新築する方向にもっていかないと建築業界としてはまずいと思う。
(西田徹)




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