松村 |
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今回は建築家でもありライフスタイルに関する本も出版なさっている、小泉雅生さんに設計者としての立場からお話を伺いたいと思います。
そこでまず、我々がなぜライフスタイルをテーマにしているのかということについて、プロデューサー3人の意見を簡単に述べさせていただきたいと思います。
私は、20世紀の建築が作ってきたものは近代的な「制度に対応した入れ物」として形成されてきた、という考えをもっています。例えば近代教育制度に対する学校建築、医療制度に対する病院、ひいては近代的家族に対する住宅ということも言えるでしょう。それらは、社会のために生産する人間を育てるためのものだと考えています。
しかし、生産することを終えた後の制度は無いのです。仕事をやめた後はどうするかというのは制度外です。制度が無いところで自分の人生と空間をつなげていく時に、それは住宅だけなのでしょうか。
制度が無い状態で過ごす時間は長いですし、制度に乗っていたときにも感じていたであろう違和感を含めた「ライフスタイル」と総称される問題領域がわからないと、これからの建築は何を作っていけばよいのかわからないのではないかと思います。
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鈴木 |
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建築計画の分野の研究をしており、本来その分野は生活とライフスタイルを対象としていますが、問題意識として計画された街に対する違和感を持っています。つまり、自分で生活を組み立てにくいのではないか、ということです。生活を組み立てるには、「箱」としての建築ではなく違う環境もあるのではないかと思っています。
そもそも、家族が変わったときに住宅を変えるような、生活と空間を厳密に対応させようとするのはおかしいと思っていますが、人間の生活と物理的な空間をどのように対応させていくことが今後はどうなっていくのかということに興味があります。
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西田 |
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現在は1人の個人が街をどう使いこなしているかということに注目して研究をしています。既に世の中には建築はたくさん存在しているので、それらを使いこなす方法を発見することによって街に新たな魅力が付加されるのではないかと思っています。そこから、ライフスタイルは建物によって変わるのかということに興味があります
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小泉 |
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西田さんの言う「建物によってライフスタイルが変わるのか」ということについて、以前感じたことがあります。
昔、私の設計事務所の社員旅行で伊豆半島に行ったことがあります。
泊まった温泉宿は部屋からすばらしい景色を一望できるところにありましたが、私が1時間ぐらい遅れて宿に着いた時、皆が外の景色も程々に部屋のTVで自動車のF1レースを観戦していたことにとても驚いた覚えがあります。
建築設計に関わる者として、日夜空間に対して敏感であるはずなのに、なぜこんなすばらしい景色を堪能しないのかと思ったわけです。
しかし、いざ自らもその場所に身を置くと、私も感動していたのは5分程度で、後はTVを見ていたのです。
建築の持つ力に限界があるということをいいたいわけではなく、TVの置かれるべき空間を考えることも大切だということだと思います。
設計をする際に「この景色がすばらしく見えるような部屋」ということを意図をする場合もありますが、それ以外の色々な価値観も我々の生活にあるわけです。
一個の要素だけを取り上げてそれだけを極端に見せても、それでは生活は持たないのではないか、ということが本質にあると思います。
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