講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


小泉雅生さんの話を伺って



小泉さんの「玄関を二つにするとうまくいく」という話は面白い。住宅の一部を街路化するということだ。気鋭の建築家である小泉さんが色々悩んで至った結論だが、同じ脈の話は何人かの建築関係者から聞いたことがある。それが面白い。かなり客観性がありそうな気配なのだ。
ちょっと話が違うが、大野勝彦さんが盛んに「住宅は分棟形式にすればよい」とおっしゃっているのとも一脈通じる。分棟形式の場合、敷地内に街路があり、そこに面した玄関がいくつもある。人と人との関係は多様なまま成立し得る。
西川先生にお話をうかがった時は、これからは「弱い個人。それを支えるネットワーク」とおっしゃったのが印象的だった。玄関二つも分棟もこの現代的な人間関係に空間を対応させる形の種類には違いない。(松村



小泉さんらが「変わる家族と変わる住まい」で提示された,4つの空間―パーソナル・スペース,クローズド・コモン,オープン・コモン,パブリック・スペースによる住宅の構成の分析と提案は非常に巧みで興味深いものである。 オープン・コモンとクローズド・コモンが現代において実際にどう成立するかが注目される。 一つのスペースに2つのアプローチがあることがキーになっているが,場所の研究者としては,入り口が一つの空間の安定性も重要ではないかという気がする。 もちろんデザイン次第なので,実例,特に自在適応型タイプで実際にどのような生活のあり方になるのかぜひみてみたいところである。(鈴木



ライフスタイルや住宅について考えている時,今住んでいる家よりも幼少から青年期までを過ごした実家での生活を思い起こす。 私の実家は60年代の終わり頃あるニュータウンに建てられたごく普通の木造平屋建である。 プランは,南東から6畳の洋室,3畳ぐらいの玄関,8畳の洋室と8畳の和室,中廊下を挟んで北東から6畳の和室,納戸,トイレ,浴室,6畳のDKで,ここには勝手口が付いていた。 数年後そのDKの隣に四畳半の和室とキッチンを増築した。物心ついた頃から南東の洋室が私の部屋であった。
さて,今回の話に出てきた玄関であるが,高校に入る前まで私には玄関を利用していた記憶がない。 玄関に自分の靴をおいていた記憶もないし,合い鍵を持たされていた記憶もない。 玄関は私の部屋の隣であったが,出入りは主にDKの勝手口と四畳半の掃き出し窓から行っていた様に思う。 確実に玄関を利用していたと言えるのは,父親と来客だけであった。母親ですら玄関を使っていたかどうか怪しい。 なぜ私が玄関を使っていなかったのか,或いは,使わせてもらえなかったのかは,両親に聞かないと分からない。 今更過去の話を掘り返したくはないが,思い切って母親に電話をかけて聞いてみた。 私の記憶はやはり当たっていた。玄関は父親専用だったそうだ。子どもらが使うと玄関が雑然とするというのが一番の理由である。 玄関は家の顔であるからいつも綺麗にしていたかったそうだ。これも出入り口が2カ所以上あったから出来たことではあるが,実は,もう一つ大切なことが分かった。 私が学校から帰る頃には,必ず母親がDKにいたという事実である。これは偶然ではなく子ども達が帰る時刻には意識して家にいるように心がけていたという。
住宅の機能やプランも大切であるが,いつ訪ねても留守,いつ帰ってもお出迎えなしではなく,「家にはいつも誰かがいる」というライフスタイルの大切さを思い出す必要はないだろうか。(西田

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