講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


2.食を介した家族のコミュニケーション


「食」。朝、昼、晩、朝、昼、晩・・・と全人生に亘って繰り返すのだから、人々のライフスタイルを考える上で絶対にはずせないテーマだ。今回は手始めとして現代女性同士の「共食」と、調理を通じた家族関係についてお話を伺ったが、どちらもライフスタイルと住まいの関係に展開できる内容を含んでいて興味深かった。

今更こんなことを言うのも変だが、私自身このHPを企画・運営してきてずっと確信を持てずにいるのが、果たしてライフスタイルと住まいの間に何か重要な関係があるかということだ。もちろん、どこに誰と住むのかは個人のライフスタイルを決定付ける要素だが、よく住宅メーカーやマンション・ディベロッパーが住宅内の空間構成や仕様に関連付けてやるような「ライフスタイル提案」のようなものはかなり眉唾だと思っていた。極端な言い方をすると、多くの人にとって、他者から提供される住宅の間取りや仕様等と個人のライフスタイルとは全く独立した事象ではないかとすら思ってきたのだ。

しかし、今回のテーマである共食や家族参加型調理は、それが住宅内で展開され、住宅内だからこそ面白くなり得、尚且つ誰にでも必須ではなく選択的な行為であるだけに、提供される住宅の内容との関係を意識して語り得るライフスタイルの存在を予感させるものだと思う。当面このHPも「食」からは目を離せない。
(松村秀一)



料理をつくって食べることはそれ自体楽しい。また食の領域は,大げさにいえば,地域,文化,社会,時代,産業,国際問題へとダイレクトにつながっていく重要な回路でもある。

そして何より食事は,インフォーマルな会話,社会的接触のきっかけてとしても最適である。環境設計のための重要な単位をまとめたアレグザンダーの「パタン・ランゲージ」(鹿島出版会)にも「会食 communal eating」というパタンがあり,「会食なしには,いかなる人間集団も団結を保てない」と説明され,仕事場をはじめ全ての組織や生活集団に集まって食事のできる場を用意し,定例の行事にすることが推奨されている。核家族で身近に自分の子どもしかいない主婦が, 大人同士で話をすることを求めて,友人親子を招き共食の場をセットするのは当然のことだろう。ただ,家族のうち母子の共食だけが豊かになっていく動向は少し気になる。

たまたま座談会の後に「共食」概念の提唱者である石毛直道先生にお会いする機会があった。家庭での食事が成立し難い状況についてお尋ねすると,家族が生産・消費の単位になりえていない現代においては,別の共食の形になっていくのは当然だろうというニュアンスのお答えであった。別の共食の形が家族による特別なセッティングになるのか,家族を越えた形になるのかが興味あるところである。
(鈴木毅)



私のいる女子大学では,学生は1年生の時に2泊3日の合宿研修に全員参加することになっている。私もクラス担任として参加するのであるが,プログラムの一つに,外のオープンキッチンで飯盒炊飯したりカレーを作ったりしてみんなで食べるというのがある。この目的は学生同士,あるいは先生と学生とが共同作業を通して仲良くなることで,カレーがうまくできなくてもよい。私は参加し始めの頃,大学生にもなってそんなことをする必要性や意味があるのかと疑問を感じていたが,何回か行くようになって考えが変わった。食事を他人と一緒に作ることは,スポーツなど他の活動とは違って特別な意味がある。簡単に言えば,その人に染みついた家庭での暮らし方(ライフスタイル)のようなものが一番にじみ出てくる場面なのである。お米の研ぎ方や包丁の使い方などを見ていると,全く家事をしていない学生はすぐにわかるし,逆にいつも手伝っている人もすぐにわかる。技術的な話だけでなく,食事に対する愛情のようなものの差も自然に出てくる様に思う。そして,このようなしぐさでのコミュニケーションがお互いに深い信頼を生むことにつながる。つまり,他人への思いやりが見える形となって表れるのが食を通したコミュニケーションといえよう。英会話を学ぶよりも両親から料理を学ぶ方が先かも知れない。食が今の日本を救う一つの鍵であることは間違いない。
(西田徹)




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