講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


我が家をエコ住宅に――環境に配慮した住宅改修と暮らし」(学芸出版社、2002)の著者である大阪ガス(株)エネルギー・文化研究所研究主幹の濱惠介さんに、「再生エコハウス」で自ら実践されておられるエコライフについてお伺いした。従来のエコロジーや省エネ→節約・我慢のイメージとは異なった、日々の楽しみに満ちた生活が垣間見える。話題は、エコハウスに至る居住の歴史、具体的な再生方法と評価、住宅ストック・文化の問題まで多岐にわたった。

濱惠介さん

講演「再生エコハウスとライフスタイル」


 
1.自己紹介

子供時代・田舎のモダンリビング
オーストラリア在住経験
アーバンデザイナーにあこがれて
フランス在住経験
インドネシア在住経験
奈良に居を構える

2.再生エコハウスプロジェクト

発端・考えたこと
長寿命化・建設廃棄物の削減
断熱
自然エネルギーの利用
中庭
建物緑化
設計の過程
図面保管の重要性

3.プロジェクトの評価

廃棄物量・投入資材量
外断熱
太陽エネルギー利用と暮らし方の変化
普通の家庭との比較
居心地の良い住まいの3つの条件

4.生活者としての教訓

欲求を肥大させないということ
手間をかけるのを楽しむ
お客を家に呼ぶ効用

5.日常の楽しみ

薪を使うライフスタイル
エコライフとサラリーマン生活のバランス

6.個人の住宅観の背景と住宅ストック

30軒のリスト
新・住宅すごろくと住宅ストック





1.自己紹介

私がどういう背景で、今なにを考えているかを理解してもらうためには避けて通れないので、少し長くなりますけれども自己紹介します。

・子供時代・田舎のモダンリビング
私が生まれたのは終戦の前の年です。子供〜少年時代は宮崎県の小林という田舎町に住んでいました。田舎育ちですけれども、当時としては結構おしゃれな生活をしていました。たとえば蛇口からお湯がでました。これは昭和20年代では信じられないレベルです。それに戦後の国産第一号機かなにかの電気洗濯機がありました。それから、当時は大方の家庭がちゃぶ台でご飯を食べていましたが、うちは食堂がありテーブルと椅子のモダンリビングを経験しています。

・オーストラリア在住経験
高校生の時にロータリークラブの交換学生で一年間オーストラリアに住み、5軒の家に約2ヶ月ずつホームステイしました。昭和30年代というと、日本では自家用車を持つこと自体が大変デラックスでしたが、いきなり、家に車が2台3台あるとか、お金持ちの家にはパーティルームがあるだとかという、びっくりする体験をしました。

・アーバンデザイナーにあこがれて
昭和30年代後半に北九州に日本で最初の長大橋の工事を見て感激し、最初は土木関係に進むつもりでした。ところがシドニーで色々と経験して、やはり都市計画にしようと考え大学は都市工学科に進みました。
でも根っこでは建築設計に惹かれる気持ちがありました。というのは、さきほどの田舎でのモダンリビングは、実は叔父が設計したものなのです。建築設計事務所をやっていたこの叔父からとてもかわいがられ、その影響でやや建築よりの都市デザインという領域に興味をもちました。アーバンデザイナーとして複数の建築を同じ敷地に同時に設計できることはめったにない。けれども公団ならありそうだと考え住宅公団に入りました。

・フランス在住経験
公団で3年目位の時にフランス政府の試験を受けて、2年間留学することになりました。この時は妻と2人でストラスブールというドイツ国境沿いの人口30万人位の地方都市に住みました。日本でいえばたぶん仙台、広島に相当するクラスの都市です。地方の中心都市ですから文化施設、大学などがそろっていて、かつ徒歩圏でかなりカバーできる規模の町です。
そこでヨーロッパ流のアパート住まいとか、町の構成というものを体感しました。とりわけ暖房設備だとか、壁が分厚く窓が小さい日本とはかなり違う閉鎖的な家だとか、それが100年200年ももってしまうという住宅や町のつくりなどが印象的でした。帰って住宅や団地の設計を続けるうちに、だんだん住まいのおもしろさへのめりこんでいきました。

・インドネシア在住経験
その後、今から10数年前ですが、今度は3回目の海外経験で、子ども3人も一緒に家族5人でインドネシアに2年7ヶ月住みました。ここでもおもしろい住体験をさせてもらいました。まず気候が全く違います。それから使用人や運転手のいる暮らしです。家そのものは250uほどあり、庭にはプールもあって珍しい経験でした。
もう一つ、インドネシアの建材のリサイクル市場に大きく感銘を受けました。日本では建材は新品が当たり前で、壊した家からはずしたものをもう一度使うというのは、よほど趣味的な場合以外は考えられません。それが向こうでは、中古の瓦とかタイル、さらに建築の各部位の部材が整理されていて、中古建材を売る店が何軒も並んでいるのです。それを見て、これは日本は大いに反省すべきであるなと思いました。
帰ってきたのが1990年で、丁度バブル真っ盛り。きれいなビルがどんどん壊されるし、ゴミは出るし、使い捨てし放題だし、これはいかん、このままだと破綻するなというのが帰国してすぐの印象でした。前から環境について気になってはいたのですけれど、こんな犯罪的なことをやっていいのだろうかと実感して、自分でできることは何か、なにをしてはいけないのかが常に頭にあり、公団の最後の8年間を過ごしました。

・奈良に居を構える
どこで人生の最後のラウンドを終えるのかを考えると、リタイアしてからよりも、やはり働いている50代のうちに永住する場所を選び、そこに根をはるべきだろうと思い、妻と議論をした結果、自宅のあった横浜を離れ、奈良に永住を考えるようになりました。大阪に現職がみつかり、大変幸運な転職と引越しをしたわけです。
私の職業は、大きく言うと、美しい都市を作りたいというのが最初にあって、それから徐々に住まいの面白さ奥深さにのめりこんで、それを通り越して、環境との調和・折り合いの上で考えない限り全ては根拠を失うなと思い至ったという三大構成になっていると思います。このような職業で文化の違う3ヶ国に暮らしたという経歴はあまりないでしょうから、その住経験も交えて、どんな住まい方、暮らし方をすれば、人類はいつまでも幸せに生きながらえるのかな、と考えていたいのが今の思いです。


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