講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』



・選択肢としての結婚・出産
 今年の始め頃、未婚の男女10数人と話し合う機会がありましたが、意外にも子供を産むということがテーマとして挙がりました。恋愛や結婚というテーマなら分かりますが、結婚もしていないのに子供を持つという発想が出てきたことに驚きました。
しかし、いろいろ話を聞いていくと納得いく面も多くありました。というのは、とりわけ女性の意見に多かったですが、女性は結婚が選択肢になっているようです。ちょっと前の世代では、よほどのことがない限り、結婚して子供を産むことが当たり前のようになっていましたが、そうした時代は確実に終わったことが分かりました。
結婚が選択肢になったというのは、自分のやりたいことを優先順位的に位置付けていく中で、結婚の優先順位がかなり低くなったことを意味します。したがって、子供の優先順位も当然低くなります。
また、話し合いに参加したのがちょっと特殊な人たちだったせいもありますが、半数の女性は子供を産むということに罪悪感を感じていました。したがって、そうした罪悪感を乗り越えて子供を産むためには、いくつものハードルがあるという印象を受けました。
それから、合計特殊出生率、つまり、1人の女性が生涯に何人子供を産むかという指標がありますが、1975年に単純再生産ラインの2.08人を切り、2001年には1.33人になりました。その数字を考えると、合計特殊出生率という観点も、全員が子供を産むという前提で立てられている気がしてなりません。
しかし、現在は子供数0をベースに考える時代に入ったと言えます。つまり、子供は産まないということが前提で、そこから一歩踏み込むと、子供を産むという選択肢が生まれるという風に考えればよいのではないかと思うようになりました。
できちゃった婚もそこから見えるような気がします。つまり、「できちゃった」という言葉自体に、産まないことを前提にしているというニュアンスが含まれているのです。できないのが当たり前で、その前提が崩れたために、できちゃったという言い方をすると捉えた方がいいように思われます。
直感的な言い方をすれば、子供数0が出発点になっていて、それを踏まえて何人産むのかという考え方で現代の家族を考えていく方がよいと思うようになりました。結婚して子供を産むのが当たり前という考え方では、現代の最先端的な家族の問題を捉えられないと思うようになったのです。
戦後、アメリカから家族計画という考え方が持ち込まれますが、この考え方は、どのくらいの期間を空けて何人産むかという考え方がベースになっています。戦後の日本には、家族を計画的に作ることが政策的に推奨された時代がありました。少子化の現在は、子供の数を増やす政策が考えられていますが、今から40年前は、子供は近代的に作らなければならないということが、政府刊行物の中に記されているような時代でした。
しかし、1975年を境に合計特殊出生率が2.08を切り、子供数0でもいいという視点を獲得したということから考えると、75年以降の30年間は、家族計画という概念が破綻した時代に入ったと言えます。


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