講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』



・養護施設長たちとの出会い
 99年に「ついていく父親」という本を出しましたが、完成まで10年を要しました。実は、構想当初この本を最後に家族論をやめるつもりでした。というのも、家族の行方が既に見えてしまったような気がしたからです。つまり、家族論ではもう新しいことが出てこないように感じられたのです。
しかし、1995年のオウム真理教事件をきっかけに、まだ家族論を続けねばならないと考えるようになりました。というのも、オウム事件前後で僕自身の人間関係ががらりと変わってしまったからです。
事件後、オウムについて積極的に発言を求められたことがありましたが、みんな冷静になって欲しいというつもりで書いたことがオウム肯定発言と誤解され、週刊誌でたたかれてしまいました。それを期に今まで親しかった人たちが遠ざかっていってしまったのです。
しかし、それを期に全く新しい関係も生まれてきました。養護施設の施設長たちとの出会いです。 数年前、横浜で行われた養護施設長の集まりに参加し、グループホームについて意見を述べたことがありました。
グループホームの知識はほぼ全くありませんでしたが、「The Boys(1983年/文学座)」というアメリカのグループホームを舞台にした劇を観たことがあり、それなりにグループホームのイメージは持っていました。しかし、自分の身近なところでグループホームに接する機会があることは想像していなかったので、まったく新しい体験だったと言えます。ちょうどグループホームが新たな施設のあり方として模索されていた時期です。
その集まりは、施設長たちが互いに愚痴を言い合いながら養育について考える会でしたが、集まりを通して、養育についてもう一度新しい視点から考え直さなければならないと感じるようになりました。
それ以前は、いわゆる平均的家族像に焦点を当てて家族の問題を考えてきました。例えば、片親の家庭のことを「欠損家族」と呼んでいた時期がありましたが、そうしたところに焦点を当てているだけでは、全体の家族像がゆがんでしまうかもしれないと思うようになったのです。
また、子供の養護の問題とちょうど対照的な位置に、介護の問題が見えてきました。僕の両親はまだ健在ですが、彼らが動けなくなったらどうしようという危なっかしい思いをここ10年ずっと持ち続けながらも、黙認してきました。
そういう意味で、今までの自分がやってきた家族論は、それらを視野に入れなくて済む時代の家族論だったと言えます。


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