講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


2.社員大工による地域のリフォーム
1.ビルの新築から住宅リフォームの世界へ
鈴木:  日向建設」は吹田市にあるリフォーム中心の工務店で、大工全員を社員化しています。僕はこの地域のコミュニティ・スポット作りを手伝うことがありますが、必ずと言っていいほど日向建設の大工さんが参加されていて知り合いになりました。まずは、日向建設の沿革を教えていただけますか。
湯前:  ゼネコンで10年間働いた後、1980年に独立して大阪市内の中崎町に日向建設を設立しました。大手ゼネコンが小さな仕事を取らなかった時代だったので、その隙間市場で1995年には社員50人にまで成長しました。ですが、これからはリフォームの時代ではないかと考え始めまして、日向建設はゼネコンとして残して、吹田にマンションリフォーム専門のリライフという工務店をオープンしたんです。
松村:  その時から吹田に主軸を移したんですか。
湯前:  吹田の事務所を開いてすぐ阪神淡路大震災が起きたので、むしろビルやマンション工事が増えました。復興に5年から10年はかかるだろうと言われていたのですが、実際は2年ほどでひと段落しました。加えて景気低迷で大手ゼネコンが小さな仕事もどんどん取るようになりまして、ビルやマンションではやって行けないと感じました。そこで、大阪市内の事務所と震災後に西宮に開いた事務所を閉めることにしたんです。会社に残したのは数人の大工だけで、残りの社員の再就職先を全部探しました。大きくするのは簡単でしたが、会社を小さくするのは本当に大変でしたよ。現在は新築とリフォームの売り上げが半々くらいで、新築は年間8棟までと決めてやっています。
鈴木:  それまでは木造はやっていなかったのですか。
湯前:  初めて木造住宅を手がけたのが震災の翌年です。あるお客さんから、潰れた親戚の家を建て替えてくれって頼まれたんです。当時はRCと重量鉄骨しかやっていなかったのですが、むげに断ることもできない。そこで下請業者を集めてコントロールするというゼネコン流で木造をやろうとしたんです。でもうまく行かなかった。大工は「2カ月でやります」と言ったのに、他の物件を優先したりして一向に竣工する気配がない。お客さんとの約束を破るわけにはいきませんから、マンション部隊を投入してなんとか間に合わせました。大工を自社養成しようと考えたのはそれがきっかけです。1997年に一期生を採用して、以来毎年1人ずつは採用しています。現在は大工が9人おります。



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