講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


1.福井綱吉さん「工務店が企画する暮らしのギャラリー」
2.新しい街の老舗の工務店を目指して
松村:  福井さんは岐阜のご出身とのことですが、大阪で工務店を始められたのはどうしてですか。
福井:  僕は営業の仕事を覚えるつもりで大阪にやってきました。兄と弟と一緒に岐阜で電気設備の仕事をする予定だったんです。商社に始まって仕事を7つ経験しまして、そろそろ頃合いかなと切り出したところ「帰って来るな」と言われてしまった。既に兄弟にはそれぞれ家族がいましたからね(笑い)。

そこで内装屋を始めたんです。キッチン業者が材料を直接卸してくれるというので、ハウスメーカーの下請けなどをしていました。その後昭和56年に吹田で工務店を始めました。当時は木材を使った民家調の家が流行し始めたころで、現在作っている家と近いものを当時から手掛けていました。
松村:  この場所で仕事を始められたのはいつ頃でしょう。
福井:  2005年からです。吹田の工務店は年間15棟程で社員は10人以上いました。これが工務店の規模としては非常に中途半端なんです。当時はじり貧で、工務店を閉めるか小さくするしかない。同じメンバーでやるとすればここへ移るしかなかった。

ところがこちらに移って来たものの、お客さんには敷居が高く見えてしまったようでした。それまでは年間10人ほどにせよ、きっちりお客さんが決まっていたのにパタッと途絶えてしまった。そんなわけで、チラシから何から自分たちで作るようになりまして、現在は新築が年間2〜30件、リフォームは年間2〜30件を手がけています。今の体制ではこの規模が限界と思っています。断熱工事も太陽光パネルの取り付けも自分たちでやるものですから、物件数に縛りを設けないと破綻してしまいます。
松村:  新天地としてここ彩都を選ばれたわけですが、何か理由があるのでしょうか。
福井:  彩都は新しい街ですから、ここなら地域の工務店になれると思ったんです。吹田のような古い街では、既に工務店もあれば畳屋もある。新しい工務店は入って行けない。向かいに畳屋があったのですが、25年間一度も仕事を頼まれたことがなかった。その点、この街には5年の歴史しかあるませんから、KJ WORKSは最初からある老舗になりますよね。たった5年ですが、地域の中で「歴史ある工務店」になれました。そのおかげか、この頃は近隣の旧村にお住まいの方からも仕事を頂けるようになりました。



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