講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


7. まとめ


雄大な風景のなかの開かれた居間

 60年程前。いわゆる「昭和」のど真ん中の時代。テレビよりも映画に娯楽の中心性があった頃のこと。鉄道旅を扱った喜劇物なども結構ありました。喜劇もシリアスドラマも何でもこなす芸達者、伴淳三郎やフランキー堺あたりが小さな駅の駅長さんや車掌さんなどの鉄道関係者を演じていたりするともう最高。地域の人たちから親しまれ、職場である駅と、そう離れていない家との二拠点居住のような、のどかな田舎暮らしの風情を感じてほっこりした気持ちになってしまいます。

 今回の南阿蘇鉄道の二駅は、あのほっこりした気持ちを思い出させてくれました。長陽駅と久永屋の久永操さん、南阿蘇の里白水高原駅とひなた文庫の中尾友治さん・恵美さん夫妻。駅長さんでも車掌さんでもないですが、店を開いている時は、鈴木毅さん言うところの「主(あるじ)」、駅舎の主です。指定管理者だったりもするわけですから、そして何と言っても、駅の本屋さん、駅の資本ケーキ屋さんが開いている週のうち2日間は、誰でも気軽に話に行ける感じなわけですから、地域の人たちから親しみを込めて「駅長さん」と呼ばれても良いように思います。

 この新しい、人口減少時代の無人駅の「駅長さん」たちは、その駅の建物とまわりの圧倒的な風景を気に入り、自らそうなりたいと町に申請するなどしてそうなった人たちで、会社の中での配置転換等で駅長や車掌になった昭和映画の中の鉄道関係者たちとはちょっと違います。そして、本が好きだから本屋さん、ケーキに関して腕に覚えがあったからケーキ屋さんと、どちらも自らの人生の核心にある「遊び」の領域と関係付けることで、ガランとした駅舎を蘇らせた点でも、昭和映画の駅長さんや車掌さんたちとは違います。もっと自由で、もっと私的で、でも誰にでも開かれているという意味で公共的でもあります。どこか懐かしいけれど新しいのです。どなたかが、こういう駅舎のことを言うのに「開かれた居間」という表現を使っていました。そう、その感じです。

 最近よく、少し曲面がかった高層建物が、ところどころの緑と一緒に並ぶ中を、新しい移動装置のようなものに乗った人々が行き来する、スマート・シティっぽい未来都市の絵柄を目にすることがありますが、私が生きてみたい「未来」でないことに本当にがっかりしてしまうことしばしばです。誰が何を考えたら、私たちの大事な「未来」があんな在り来たりの絵柄になるのか、想像もつきません。お仕事の人たちがお仕事で描いているに違いありません。そんな中、今回お会いした懐かしい「駅長さん」のようなお二方と、いつでも誰でも来てよといわんばかりに開かれた居間のような駅舎の設え、そしてそれを包む圧倒的な阿蘇の自然に触れ、こういうのこそが「未来」でしょうと思わずにはいられませんでした。良い旅でした。

(松村秀一)



継ぐのは誰か—保存・再生でなく

 長陽駅と白水高原駅。南阿蘇鉄道の2つの駅と運営する主(あるじ)に出会えたことは昨年の一番の成果・収穫だった。JR西日本コンサルタンツからの委託で,無人駅活用の研究がスタートし,まずJR桜井線(万葉まほろば線)の奈良の隣の京終駅をゼミメンバーで調査した。コミュニティ駅長とNPO KYOBATEのお話を聞き,いわゆる建物保存・再生でない新しい時代が来ていることを実感し,次にどこを調べようかという時,卒論生の伊藤はるなさんの「この2つの駅は行ってみたいです」というお勧めで熊本を訪れたのである。大当たりだった。(伊藤さんの研究は卒業論文「ローカル線における無人駅の活用に関する研究」としてまとまり,日本建築学会でも発表されている)。

 なにより両駅とも雄大な風景が印象的だった。記録やスナップのつもりが映画の一シーンのように撮れてしまう。駅は日本列島の豊かな(記憶が積み重なった)風景を楽しむことのできる貴重な(アクセスしやすい)視点場も提供していることに気づかされる。

 そして,無人駅に命を与えた主(あるじ)達。近年,従来のように自治体や専門家だけでなく,強い動機とビジョンのある当事者個人が場づくりをする時代になっているというのが私の認識であり主張であるが,久永さんと,中尾さん夫妻はそれを証明してくれている。

 長陽駅は,懐かしい佇まいの駅舎に加えて,新たに置かれた赤いポスト,地域の大工さんがつくったホームの家具,屋内の本や小物などで独特の雰囲気になっている。最初経緯を久永さんに伺った時,こういう生き方があるのかと感銘を受けたが,今回ホームステイ以来の詳細なお話を聞いて,日本の教育や働き方,師匠という存在についても考えさせられた。

 白水高原駅は,ローカル線の駅の古本屋というイメージから,かわいい系というかファンシーなテイストの場を想像していたのだが,訪れてみると落ち着いて居心地よく,同時に戦略のある気合いの入った運営の本屋さんだった。中尾夫妻の御宅の離れにお邪魔しているようで,同じ時代を生きていたことを感じる本棚を眺めながらずっと居たくなる。

 南阿蘇鉄道は震災後でまだ全線復旧しておらず,2つの駅に列車は止まらない。にもかかわらず,近隣だけでなく遠くから人々が車でわざわざ訪れる場所になっていることに驚かされる。鉄道は動いてなくとも,駅はエリアへのわかりやすいゲートであり,人々の記憶が積もっている地域資源であるのに加え,風景をみながらケーキを食べ,本を読み,主と話しをして過ごすという新たな価値が生まれている。

 日本という国家の近代化を担ったインフラである鉄道,けれど既に役割を終えたと見なされがちな鉄道の駅が,その場の魅力に惚れ込んだ個人によって引き継がれ,新たな意味の場となっているのである。もちろん都市圏の駅ではこう簡単にはいかないだろうとは思う。だが逆にいうと地方ならこういうあり方が可能なのだ。

 この連載の最初期(第5回)にお話しを伺った西川祐子先生の「古屋を借りて他人の記憶を受け継ぐのもいんじゃないかな、とおもいます。今までは自分のご先祖様の記憶しか継げなかった。(中略)でもそこが変わってきた。思い入れをする他人が受け継いでいいと考えられる。」を思い出す。まさに今回の二つの駅では思い入れする他人が場を受け継いでいるのである。

(鈴木毅)



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