|
|
|
松村: |
最近は余った建物を空間資源として使いこなす人々が現れ始めていますが、西村さんは、いわば空き建物に手を入れる作業そのものをコンテンポラリーアートにするという独特な取り組みをされています。こうした活動を、工場主の山アさんと一緒に始めたきっかけなどからお話し下さい。
|
|
西村: |
山治織物工場に関わるようになったきかっけは、2005年の「桐生再演11」です。桐生再演というのは1994年から続いているアートプロジェクトで、作家たちが桐生に短期滞在し、市内各所で制作と展示を行うものです。その11 回目の時に山アさんから「私の所にも使っていない工場があるんだけれど…」と声を掛けて頂きました。当時の山治織物工場は操業停止から19年経ち、大量の不用品などが溢れていました。展示を行うには厳しい状況でしたが、それでも何かできないかということで、止まっていた織機を2 台ほど動かすことになりました。止まっていた場を再度スタートさせるという思いで、糸を掛けずに動かしてみたんです。
|
|
山ア: |
糸を通さずに織機を動かすのは初めてのことでした。織機は経糸(たていと)に緯糸(よこいと)を織り込むためにシャトルという部品を行き来させますが、その仕掛けに不足する部分がありました。初期のコンピューターはパンチカードで動かしましたよね。その起源になったのが織物の模様を指示する紋織の仕組みで、穴を開けた紋紙というもので経糸とシャトル(緯糸)を制御します。ですから、長年止まっていた織機を調整するだけでなく、糸が掛かっていないシャトルを飛ばすため、紋せんという部品を自作したりもしました。
|
|
西村: |
2006年の桐生再演12 では、そうやって織機を鳴らしてみたんですが、個人的には近隣の人にその音を聞かせたかったんです。
|
|
山ア: |
この町には、かつての織り子さんなどがたくさん住んでいるので、織機の音がすれば機織りが盛んだった時代を思い出したりします。実際、音に誘われてここに入ってこられた方もいらっしゃいました。
|
|