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松村: |
徳島県神山町で一体何が起きているのか、ざっくばらんにお話を伺いたいと思います。頂いた資料を見ると2011年には町制開始以来、初めて人口増を達成したとのことです。2007年から神山町の移住交流支援センターの運営をしている「NPO法人グリーンバレー」がこうした動きの中心になっているそうですが、理事長である大南さんはそもそもどういう仕事をされてこられたのですか。
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大南: |
建設業です。家業を継ぎました。昭和50年代後半、「山の上の集落に住む人たちが道路がないから生活ができない」と国や県へ陳情すると、案外簡単に計画がなされ、僕らが工事を担当します。完成すると集落の人は大喜びで、祝賀会を開いてくれたりしました(笑い)。ところが2〜3年経つとぽつりぽつり引っ越していく。道路ができて引越しが便利になったからです。7〜8年もすると10戸あった集落が1、2戸になり、高齢者だけが取り残されてしまう。僕自身は公共工事の恩恵を受けましたが、結果として過疎化を助長しているんじゃないかと思うようになりました。
グリーンバレーの前身は、1992年に設立された「神山町国際交流協会」です。戦前の1927年のことですが、アメリカから日本全国に12,739体の「青い目の人形」が寄贈されました。急速に悪化し始めた日米関係を子供世代から改善しようという運動が生まれて、文部省経由で全国の小学校や幼稚園に配布されたんです。ところが、太平洋戦争が始まると敵国の人形なんて焼いてしまえというキャンペーンが起こります。残った人形は約300体ですが、その一つが僕の母校の神領小学校にあった。ある女性教師が人形に罪はないと考えて隠したんだそうです。1990年にPTAの会合で久しぶりに小学校を訪れた時、飾ってあった人形をよく見るとパスポートを持っているわけですよ。アメリカ人のユーモアですね。
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松村: |
パスポートと言うからには出身地や名前が書かれていますね。
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大南: |
出身地はペンシルベニア州ウィルキンスバーグ市です。寄贈されてから63年経っていましたから、仮に当時10歳の女の子が送ってくれたとすると73歳になっているはずです。もしかしたら生きているかもしれないと考え、ウィルキンスバーグ市長に手紙を書いたところ、半年ほどかけて送り主を見つけてくれました。それじゃあ人形を里帰りさせようと1991年8月に町民30名がウィルキンスバーグを訪問して、国際交流の動きができました。
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