どこでも生活するための道具と力
駒井さんのお宅はまるで京都の通りにある膨らみのような場所でした。ガラスの引き戸の向こうに土間があり、土曜日のお昼時、近所の子供さんとお母さん方が何やら作業台を囲んでいました。中に入るとそれはお絵描き教室。先生もいらっしゃいます。どの人が駒井さんかはわかりませんが、どうやら「どうぞどうぞ」と言っている人がそうらしいですし、どうやら駒井さんの奥さんもお子さんもこの中に混じっていたようです。通りと家の境界のなさを象徴する人の集まり方でした。少しだけ奥に入ると、土間の向こうにいささか唐突な感じで、浴槽・防水パン一体型のハーフユニットが裸で置かれています。駒井さん一家が引越しの度に持ち歩いている、「家具」と称する空間的家財道具の一部ですが、近所の皆さんが集まる場所の目と鼻の先に、いきなり私的な空間があるということです。
しかし、よくよく見ると、そこは土間ではなく、履物を脱いで上がったところにありますし、空間的家財道具としての木製フレーム、床、階段で構成されたお子さんたちの個室的な空間は、微妙に気配は感じられるものの見えはしない中2階的な位置に配されています。ただ、個室のドアのようなはっきりした仕切りはありません。駒井さん自身の建築設計事務所は土間の中のフレームで囲われた一部にあり、そこがそうだと言われないと気付かないほど、まちに開かれた場所と一体化しています。
2階に上がらせて頂くと、4人のお子さんたちがそれぞれ宿題か何かをしているようでしたが、私たちのために机をあけるとすっといなくなりました。少し経って1階に下りてみると、お子さんたちは、今度は先ほどの土間の作業台でそれぞれ何かに集中しています。そして、私たちがこの作業台を囲んで駒井さんの話を聞くということがわかると、またもや、すーと2階に上がっていきました。
「うちの子供たちはどこでも集中できるように鍛えられているんです」と駒井さん。聞けば、それぞれ小学生の時に1年間、農村留学も自ら望んで経験しているとのこと。
借家への引越しを繰返すことをライフスタイルとして、独特の空間的家財道具を構想し、どこにでも自分たちの生活空間をつくりだすことを建築的に可能にした駒井さんの活動もとても面白いですが、奥さんとお子さんたちのどこでも楽しく生活する力こそが「引越し家族」というライフスタイルを豊かなものにしているのだと確信しました。
「家内も子供たちもみな足が速くて、学校対抗の駅伝やリレーでは『駒井家』はいないと困る存在になっています」と嬉しそうな駒井さん。通りの膨らみのような土間空間とともに駒井さん一家もまちに必要とされ、今やなかなか引越しにくい状況になっているようですが、既に次の引越し先は決まっているとのことでした。まちは困るでしょうね。
今回の取材は、家業がまち空間とともにあった時代に迷い込んだような不思議な体験でしたが、駒井さん宅は、とても微笑ましく思い出せる空間と生活の分かち難いセットでしたし、この微笑ましさは現代のまちが希求し始めているものではないかという思いが残る、とても印象深い体験になりました。
(松村秀一)
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