講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


6.まとめ


どこでも生活するための道具と力
駒井さんのお宅はまるで京都の通りにある膨らみのような場所でした。ガラスの引き戸の向こうに土間があり、土曜日のお昼時、近所の子供さんとお母さん方が何やら作業台を囲んでいました。中に入るとそれはお絵描き教室。先生もいらっしゃいます。どの人が駒井さんかはわかりませんが、どうやら「どうぞどうぞ」と言っている人がそうらしいですし、どうやら駒井さんの奥さんもお子さんもこの中に混じっていたようです。通りと家の境界のなさを象徴する人の集まり方でした。少しだけ奥に入ると、土間の向こうにいささか唐突な感じで、浴槽・防水パン一体型のハーフユニットが裸で置かれています。駒井さん一家が引越しの度に持ち歩いている、「家具」と称する空間的家財道具の一部ですが、近所の皆さんが集まる場所の目と鼻の先に、いきなり私的な空間があるということです。

しかし、よくよく見ると、そこは土間ではなく、履物を脱いで上がったところにありますし、空間的家財道具としての木製フレーム、床、階段で構成されたお子さんたちの個室的な空間は、微妙に気配は感じられるものの見えはしない中2階的な位置に配されています。ただ、個室のドアのようなはっきりした仕切りはありません。駒井さん自身の建築設計事務所は土間の中のフレームで囲われた一部にあり、そこがそうだと言われないと気付かないほど、まちに開かれた場所と一体化しています。

2階に上がらせて頂くと、4人のお子さんたちがそれぞれ宿題か何かをしているようでしたが、私たちのために机をあけるとすっといなくなりました。少し経って1階に下りてみると、お子さんたちは、今度は先ほどの土間の作業台でそれぞれ何かに集中しています。そして、私たちがこの作業台を囲んで駒井さんの話を聞くということがわかると、またもや、すーと2階に上がっていきました。

「うちの子供たちはどこでも集中できるように鍛えられているんです」と駒井さん。聞けば、それぞれ小学生の時に1年間、農村留学も自ら望んで経験しているとのこと。

借家への引越しを繰返すことをライフスタイルとして、独特の空間的家財道具を構想し、どこにでも自分たちの生活空間をつくりだすことを建築的に可能にした駒井さんの活動もとても面白いですが、奥さんとお子さんたちのどこでも楽しく生活する力こそが「引越し家族」というライフスタイルを豊かなものにしているのだと確信しました。

「家内も子供たちもみな足が速くて、学校対抗の駅伝やリレーでは『駒井家』はいないと困る存在になっています」と嬉しそうな駒井さん。通りの膨らみのような土間空間とともに駒井さん一家もまちに必要とされ、今やなかなか引越しにくい状況になっているようですが、既に次の引越し先は決まっているとのことでした。まちは困るでしょうね。

今回の取材は、家業がまち空間とともにあった時代に迷い込んだような不思議な体験でしたが、駒井さん宅は、とても微笑ましく思い出せる空間と生活の分かち難いセットでしたし、この微笑ましさは現代のまちが希求し始めているものではないかという思いが残る、とても印象深い体験になりました。

(松村秀一)



家族や生活の変化に対応して住居の空間を変えていくというのは、設計者はもちろん学生からハウスメーカーまで、あらゆる建築関係者が提案し続けてきた普遍的テーマの一つであるが、駒井さんの借家生活のシリーズほど迫力と説得力のある事例はまずないだろう。たくましい駒井家だからできることだというのではなく、私たちはそのアイデアと豊かな生活の実践をみて、住まいというものの根本を学ぶべきである。

また現在の駒井家(借家生活3)における住居の地域への開き方もたいへん興味深い。住宅をパブリックに開放していく「住み開き」が話題になり普及しつつあるが、駒井さん宅は2002年から地域の拠点であり、子どもアトリエの開催されている日は、ここは駄菓子屋かと思うほどの賑わいである。なおスポーツ万能の駒井家の家族は、地域の運動会の出場者としてもなくてはならない人材であり、引越が決まった後も、部屋は確保するからお子さんだけは置いていってくれと言われているそうだ。ライフスタイル考現行「能登で生活をデザインする」で萩野紀一郎さんを取材した時にも感じたのだが、専門家としての建築家の生き方、地域との関わり方もずいぶん変化してきたものだと思う。

インタビューを読んでいただければわかるように、駒井さんは普通の建築家と目のつけどころ・勝負どころが違う。借家生活にしても建売住宅の自由設計にしても、普通の建築家なら見過ごしてしまう課題、気づいても相手にしない問題に疑問をもち、それにきちんと向き合い、アイデアと実行力によって全く新しい領域、住まい方、作り方、世界を実現し、結果として建築家の活動を拡張している。多くの建築家達が、競争相手が無数にいる狭い世界(レッド・オーシャン)で四苦八苦しているのに対して、駒井さんは、建築と社会をめぐる深い問題に向き合うことによって、ほとんど競争相手のいない、建築家にとっての新天地(ブルー・オーシャン)自体を次々に創造しているように見えるのである。 駒井さんは、建築家であり、名古屋芸術大学の講師であると同時に、実は大阪大学の我々の研究室の博士後期課程の学生でもある。こうした、普通なら見過ごしてしまう重要な課題を発見し、全く新しい領域・世界を見せてくれる駒井さんの姿勢は、研究室の学生にもたいへんよい刺激になっている。

後日、新居への引越しがあり研究室の学生達と一緒にお手伝いさせてもらった。借家生活3でオフィスと子どものゾーンとして使用されていた木製のフレームは、律儀にていねいに本当に解体され、運搬されて、長さ60mの借家生活4の中に組み込まれていったことを報告しておく。フレームの搬入と設置の際に、駒井さんがこれまで設計した住宅のお施主さん達がお手伝いしていたのが印象的だった。

(鈴木毅)



駒井邸には以前から行きたくてしょうがなかった。数年前,神戸芸工大の花田先生から駒井邸のスライドを見せていただいたことがある。駒井邸も色々なバージョンがあるので,現在のバージョンだったのかは分からないが,写真なのに一度見たら忘れることのできないほどの衝撃を受けた。念願が叶って実物を拝見できたが,実物は予想以上のクオリティであった。

アーティストがインスタレーションで,「古い倉庫などに一ヶ月ほど住むために造りました」というなら分からないでもない。あるいは,「自宅を自分で改造してこの様にしました」というのもおそらく探せば似たようなものがあるだろう。しかし,駒井邸は違う。作品でもないし,セルフリノベーションでもない。完全にインフィルが独立していて,ある程度の規模があれば,どこにでも移築できる仕様になっている。話を伺っていると,こういうシステムを発想して,計画して造ったということではないらしい。学生時代から日々生活しているうちに,必要な家具(駒井さんの言うところの)を造り,結婚したり,家族が増えたり,成長したりすると,また必要に応じて家具を造作し,時には引っ越しをして全体のボリュームに対応し,現在の状態になったということである。なので,メタボリズムのような理論が最初にありそうだが,意外に何にもなく,駒井さんの直観と身体感覚だけで産み出されたものといえる。もっとも実物を見ると,理屈はどうでも良いと思えるほどの自然な強さがある。

感動的なのは,家具のスケール感である。たとえて言うと,寝台列車の様な無駄のないヒューマンスケール感である。子どもはさぞかし毎日が楽しいだろうと思う。大人も実は(日本人だけかも知れないが),三畳から四畳半ぐらいまでの部屋が一番落ち着く。さらに,駒井邸の家具は,単に空間を小さく分節し,つなげているだけでなく,駒井さんの身体の延長として有機的に存在する。そのためか,一見複雑にみえるが,とてもシンプルな構造である。この様な親の身体のぬくもりの中で育つ子ども達は,きっと心豊かな大人に成長することだろう。それを更に深めるのが,まちとの連続性である。これは京都ならではとも言えるが,家とまちとの境界があいまいで,完全に一階の土間空間はまちに対して開かれている。もちろん土間は,土足のママで行き来できる。入り口は木製サッシュのガラス引き戸である。これは,はじめから建物にあったものだろうが,年代を感じさせ味わい深い。こういうオープンな土間が家の中にあれば,まちの人も入って来ておしゃべりしやすいと思う。また,その光景がまちなみを楽しく見せる。私の家も一階の空間にこの様な開放性を持たせることが目標だが,まだまだである。さらに,大阪市内のこの場所性を考えると,一ひねり必要そうである。それはまた,私がゆっくりと考えるとして,いずれにせよ,駒井邸には今までにない新しい建築の要素・ヒントが存分に詰まっている。これを駒井さんの家の中だけに納めておくのはもったいないと思う。

(西田徹)




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