講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』
インタビュー「作業場として生き続ける塗師屋の土蔵」

大崎四郎 塗師屋
輪島の塗師屋大崎庄右ェ門の名を継ぐ4代目。創業以来、堅牢を旨とし、木地と漆に徹底的にこだわり、用と美を追求してきた。平成19年能登半島地震によって、仕事場を兼ねる住宅・蔵が大きな被害を受けたが、それらを修復・維持しながら、現在も漆器づくりに精力的に取り組んでいる。



1.プロデューサーとしての塗師屋
2.塗師屋の暮らし
3.輪島塗と土蔵
4.外国へ広がる輪島塗
5.能登半島地震の影響
6.輪島土蔵文化研究会
7.輪島塗を知ってもらうために
8.まとめ



1.口コミでの物件探し
鈴木:  大崎漆器店は「塗師屋大崎庄右ェ門(www.osakisyoemon.jp)」を名乗られていますが、まずは塗師屋(ヌシヤ)という仕事から教えて下さい。
大崎:  その前に輪島塗の説明も簡単にしましょう(笑い)。漆塗りの工程は大きく「下地」と「上塗り」に分かれますが、輪島塗の特徴は地の粉の下地塗にあります。ここで輪島の珪藻土を混ぜて塗ることで、漆がガラスのように硬くなり、漆器が堅牢になります。お椀は毎日使いますから、いかに頑丈にするかということが非常に重要です。
塗師屋の仕事とはそうした輪島塗に関する総合プロデューサーのようなものです。木地屋・下地屋・蒔絵師などの職人さんと分業体制を組み、漆器の製造・販売をします。初代庄右ェ門は江戸末期の人物で、2代目から塗師屋を始めました。私で4代目になります。
西田:  小売りもやっていらっしゃるのですか。
大崎:  小売りと卸売りを分けて考えることはあまりありませんが、両方とも行っています。昔は塗師屋の家によって行商エリアの棲み分けがあって、当店は北海道、関東などでも行商をしていました。今でこそ電話でオーダーを受けていますが、依頼があればどこへでも行きますよ。
鈴木:  かつては北前廻船ルートが流通の大動脈でしたから、各地と交流があったんでしょうね。
大崎:  塗師屋はそれぞれの地域で客人として持てなされていました。大阪や京都などの情報を伝達する役目もあったようです。商いをする上でも、各地の有力者に文化人的な素養を求められたと伝えられています。
鈴木:  どのような人たちが輪島塗を注文されていたのでしょうか。
大崎:  多くの料亭や旅館などで愛好していただいてきましたが、最近では減っています。一般的な輪島塗の販売路としてはデパートが増えています。



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