ライフスタイル考現行



能登で生活をデザインする

Kiichiro Hagino / 萩野紀一郎

1964年、東京生まれ。東京大学卒業、同大学院修了後、香山アトリエ、東京大学助手を経て、フルブライト奨学生としてアメリカ留学、ペンシルヴェニア大学大学院修了、東京大学にて工学博士を取得。1998年、萩野アトリエ設立、その後、日本とアメリカで設計、研究、教育活動を行う。2004年、アメリカから能登へ本拠地を移転。建築の設計だけでなく、デザイン/ビルドやワークショップ活動、土蔵や民家の保存再生プロジェクトに取り組んでいる。

主な作品に、「阿佐ヶ谷の家」、「西鎌倉の家」、「柿の木坂の家」、「USエデュケーション・ネットワーク」、「グリーン・ツィード、アジア・エンジニアリング・センター」、など。主な著書(共著)に、「アメリカ建築案内」(工業調査会)、「アメリカのアトリウム」(丸善)。現在、金沢工業大学非常勤講師、NPO法人輪島土蔵文化研究会理事長。


1.能登との出会い

2.フィラデルフィアから能登へ

3.輪島の土蔵の再生に取り組む

4.旧駅前の事務所

5.自宅の半自力建設

6.作りながらデザインする

7.まとめ




1.能登との出会い


佐藤:  萩野さんは東京出身でアメリカへ留学もされています。大学院時代の研究テーマもアトリウムでしたし、都会派という印象を持っていました。どういうきっかけで輪島に移住したのでしょうか。
萩野:  1993年から97年までアメリカに留学して、フィラデルフィア郊外の人口3,000人ほどの小さな町で活動していました。当時はアメリカに夢中になって、永住も真剣に考えていました。歴史や伝統を重んじる考えが日常生活に浸透し、地域に強いコミュニティーがあることに感動を受けたんです。

しかし、奨学金のルールのために東京へ戻らなくてはならなくなりました。帰国してしばらくは、極度のリバース・カルチャー・ショックに陥り、日本や東京の嫌なところばかりが目に付きました。人が多く、物価も高く、考え方も皆同じでないといけない。そんな生活が窮屈だったんですね。ところが1年ほど経つと、日本には日本のよさがあることに気づき始め、大工や左官などの日本の伝統的な技術も勉強し、それを生かした設計を試みたいと思うようになったんです。

初めて能登へ行ったのはそのように考え始めた2000年頃です。本の製本技術を以前習っていた私の妻は、アメリカで日本の紙漉きを学んだのですが、日本でも紙漉きを体験したいと考えていました。また、日本の学校を体験したことのなかった子供にも日本の学校を体験できる機会を探していたこともありました。東京で工芸品店を営むアメリカ人の友人から、能登の人々や紙漉き場、空き家まで紹介され、勧められるまま能登へ行くことになったんです。


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