・家族論の時代性 |
僕が1976年に初めて家族論の著書を出版した時、書店の人はその本をどのコーナーに置いたらいいか僕に尋ねてきました。当時の書店には家族論のコーナーがなかったのです。 |
20数年前は、家族論の本はごく一部に限られ、自分達が生きている時代そのものを考えるという意味では、遠くから問題にスポットを照らすようなものではあっても、近くから現代という時代を照らし出してくれるような書物ではありませんでした。そこで、状況論のようなアプローチで家族を論じることによって、現代を同時代的に照らし出すことを決意したのです。それから10年経ち、1980年代中ごろになって、ようやく家族の問題が社会の表面に浮かび上がってきました。 |
そういう意味で、家族論とは時代の中で生まれ、時代と共にテーマが様々に変わっていくものだと考えています。家族論は、やはり時代とのかかわりが不可欠であり、もしかするとこれから何年か後に家族というテーマは消えてしまうかもしれません。家族論は決して永遠の普遍的なテーマではないのです。 |
家族を論じることの目的は、あくまでも家族をより長く生き延ばすにはどうしたらよいか、家族をよりよい関係にするにはどうしたよいかを模索することにあります。ですから、自分の外側にある情報を区分けしたり分析したりすると同時に、自分もまた、家族としてどのように生きていこうかという自分の体験を含ませなければ、生きた批評は生まれません。 |
そういう意味で、僕の家族論に対するアプローチは、学問的なものではなく、詩や文学を読むような文芸的なアプローチだと言えます。 |