講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


9. まとめ


地方都市で活動することの豊かさ

 既に何度か申し上げたと思いますが、2008年に建築家の松永安光さんや都市系シンクタンクの清水義次さん、実業家の長屋博さんたちと一緒に立ち上げた団体に「HEAD研究会」というものがあります。この研究会が初めての「リノベーション・シンポジウム」を大阪で開催したのが2010年1月。同年6月には鹿児島で2回目のシンポジウムを開催しました。翌2011年には北九州で第3回のシンポジウムと初の「リノベーション・スクール」を行いました。そして、2011年11月、第4回の「リノベーション・シンポジウム」の開催地が金沢でした。私が小津さんと初めてお会いしたのはその時です。

 既に当時、小津さんは、今も使っておられるスキップフロア型の中古ビルをリノベーションして自らの設計事務所にしておられましたし、その向かいの空きビルの1階で、素晴らしい料理を振る舞うとても素敵な立食パーティを仕切られてもいましたので、てっきり金沢の若手の顔役だと思い込んでいました。

 ところが、今回お話を聞いてはっきりしたのは、金沢に拠点を構えたのは丁度その頃で、そもそも何の変化もない金沢から飛び出したくて東京に行った自分が、まさか金沢に戻ってくるとは思いもしていなかったということで、この話はとても意外でした。

 東京ではなく金沢に拠点を構えようという180度の気持ちの変化の決定打となったのが、東日本大震災に伴う原発事故後の東京の風景だったというお話が印象に残りました。曰く「東京はつくづく寂しいまちだと気付きました。」

 今回は小津さんご自身に、金沢市内での仕事、それは空間資源としての空き建物の発見からリノベーションを経て新たな利用に至るまでの一連の仕事の数々なのですが、それらを丁寧に歩きながら案内して頂いて、この規模の、人の顔が見える地方都市であれば、仮に寂しいまちだったとしても、自分たちの働きかけで寂しくないまちにできるという確信を持たれていることを強く感じました。その確信が、東京を通さずに世界の同じような規模のまちと直接つながりたいという思いや、戦災を受けた福井や富山でもきっと面白いことができるという考えの確固たる背景になっているのでしょう。

 地方都市で活動することの豊かさを、改めて実感できる小津さんとの一日でした。

(松村秀一)



小津さんが教えてくれる金沢

 HATCHiの前での金沢の都市構造と歴史の解説からはじまって,八百萬本舗の店内から見える金沢城東内惣構堀跡の石垣と水路の紹介,金澤町家の構成と川向いの銭湯について触れたあとには,神社を通りながら金沢に祭りがないことの説明。小津さんによる解説付きの町歩きはさながらブラタモリのようだった。

 それに加えて歩きながら紹介される,小津さんが関わられた建築,現在進行形のプロジェクトの数々と多様さに圧倒される。この店は元々こういう歴史がありこんなことを意図しました。この洋館ではこのような計画があります。あのビルは所有者からこんな話があります。商店街にはこんなふうに関わっています‥etc, etc 。

 タウンアーキテクトという言葉があるが,小津さんはまさに現代における新しい地域の建築家のあり方を示してくれているように思う。この連載シリーズでは建築家の新しい生き方や節目の出来事に触れることがしばしばあるが,小津さんにもR不動産の馬場正尊さんや,地方移住がテーマの山崎亮さんの対談など幾つかのきっかけがあった。

 そして金沢21世紀美術館。建築の形式としても地域への影響という点でも、疑いなく美術館建築のエポックだが,小津さんが金沢に戻る上でも重要なきっかけになっていた。建築は実に色々な形で町や人に影響を与えるのである。市役所で評判になり、その後の活動につながったという小津さんのカフェ運営の企画書はぜひ読んでみたい。

 歩くにつれて江戸,明治,近代,そして他ならない今が次々に登場する特別な町歩きから一ヶ月が経とうとしている。ふと八百萬本舗の待合の雰囲気や金澤町家の細やかな格子,そして路地を上がった先に登場する神社や,不思議な様式の街角の建築の佇まいを思い出す。

 一昔前は兼六園とひがし茶屋街と近江市場をまわるだけで十分満足していた金沢だが,21世紀美術館ができて,私達は注目する展覧会のたびに金沢を訪れ,違う季節を楽しむようになった。これからは,小津さんのおかげで,町のあちこちを歩き,様々な時代を楽しむために訪れることになりそうである。

(鈴木毅)



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