講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』
ネイバーフッドデザインの実践−HITOTOWA INC.
荒昌史さん
HITOTOWA INC.代表取締役。ディベロッパー勤務を経て環境共生住宅やマンションコミュニティを展開するために独立。東日本大震災を契機にネイバーフッドデザイン事業を推進。著書に『ネイバーフッドデザイン−−まちを楽しみ、助け合う「暮らしのコミュニティ」のつくりかた』(英治出版、2022)。




1. HITOTOWAの設立
2. コミュニティスペース「ひばりテラス118」
3. 原風景としての公団住宅
4. 持続可能な組織を作るーまちにわ ひばりが丘
5. HITOTOWAのビジネス
6. 失敗を許容する「ゆるさ」を持つ
7. まとめ



1. HITOTOWAの設立
松村:  荒さんは2010年に「HITOTOWA」を設立され、つい先日にはこれまでの活動をまとめた『ネイバーフッドデザイン』という本も刊行されました。まずはHITOTOWAを設立した経緯などからお話し下さい
荒:  2004年にリクルートコスモスに入社し、不動産や都市開発のイロハは学ばせてもらいました。担当した業務は用地仕入れです。その時、ディベロッパーが地域と積極的に関わることは避けるべき事柄になっていると痛感しました。もちろん近隣住民への対応もありますが、大きな問題にならないよう収める役割なので、基本的に地域とより良い関係を築くという視点は用地取得にメリットがない以上はありません。そうした不動産開発のあり方に疑問を持ち、入社3年目に環境問題とコミュニティディベロップメントを掛け合わせる提案をしたところ、この企画が通って社内部署が設けられました。当時は環境ブームのようなものがあって、大手ディベロッパー各社が環境共生住宅に取り組んでいた時期でした。
松村:  グッドデザイン賞などでも、環境配慮を付加価値にする提案が目立った時期ですね。苦戦が予想される立地などで、マンション共用空間に菜園を設けて環境学習を行うといった取り組みが行われていました。
荒:  2010年に独立したのは環境共生住宅やそのためのマンションコミュニティを広めるためです。ところが、その3ヶ月後に東日本大震災が起きたため、そうした仕事は立ち消えとなり、急遽付き合いのあったディベロッパーの人たちと復興支援企画を立ち上げることになりました。人と人とのつながりが防災・減災に寄与することを学んだのはこの時です。磐城や南三陸、陸前高田といった被災地での支援活動を通して、コミュニティが命に直結することを教えられました。ですから、最初からコミュニティ活動に着目していたわけではなく、防災減災や環境共生の実現手段としてネイバーフッドデザイン(街で暮らす人々のつながりづくり)に向かっていった感じです。




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