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松村: |
宮崎さんは、設計事務所を営む一方で、岡倉天心記念公園の前で最小文化複合施設と銘打った「HAGISO」を運営されています。HAGISOは古い木造アパートをリノベーションした建物ですが、こうした施設を始めた経緯などからお話しください。
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宮崎: |
学生時代から住んでいたんです。一棟丸ごと借りた建物を5、6人でシェアし、カスタマイズしながら暮らしていました。光熱費込みで一人当たり3万円ほどです。僕が加わったのは2006年ですが、始まりは2004年になります。芸大の後輩が谷中の調査をした際に、萩荘という空きアパートを発見した。そして、大家さんが宗林寺であることを突き止め、貸してもらえないか相談に行ったんです。
萩荘が竣工したのは1955年です。もともと14戸のアパートで、各住戸は四畳半と一畳半の二部屋で内玄関・手洗い・押入れが付いていました。トイレなどの水回りは共同です。2000年頃から空き家になり、大家さんとしてはいつか取り壊して駐車場にするつもりだったみたいです。僕たちが借りる前はホームレスが勝手に住むような状態だったので、取り壊すまで誰かに住んでもらった方がいいと判断したようです。ですから壁を取り払ったりしても構わなくて、賃借期間も特に決めていませんでした。入居者も自分たちで決めていて、新しい入居者が決まったら大家さんに紹介する程度でした。
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鈴木: |
谷中という街との関わりはどうでしょうか。
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宮崎: |
大学院に進学して六角鬼丈さんのところで学んだ期間に、現在の活動の素地が生まれたように思います。例えば、玉林寺というお寺さんの脇で期間限定の美術館プロジェクトを行ったりしました。でも近隣住民にとっては迷惑なんですよ、のれんで路地を塞ぐという企画なので通れなくなってしまう。住職や近隣の方々に説明に伺うことになったわけですが、その結果、街の人たちと顔見知りにもなりました。
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