まちと住宅生産者、それぞれのかたち
工務店にせよ住宅メーカーにせよ、その業態は日本中で住宅建設が旺盛だった高度経済成長期に社会に定着したものです。ところが、住宅数が世帯数を遥かに上回り、人口減少が始まり、人口構成も大きく変わりつつある今日、住宅生産者の従前からの業態は、明らかに大きな変化を迫られています。
まち開きからまだ日の浅い「彩都西」に5年前に本拠を移したKJワークスと、1970年代以降に開発された住宅地「山田」に10数年前に拠点を構えた日向建設。今回お邪魔した2社は、いずれも新しい住宅生産者のあり方を見据えてそれぞれのまちに根を下ろした工務店であり、それぞれの社長、福井さんと湯前さんのお話は、とても興味深いものでした。詳細はインタヴュー記録をお読み頂ければと思いますが、個人的に印象に残った事柄をいくつか。
福井さんについては、KJワークスが吹田市内から彩都西という新興地に拠点を移した理由。聞けば、まちで最初の工務店になりたかったとのこと。「私たちの毎日毎日の活動がまちの歴史になるんです」という言葉はとても新鮮でした。高度経済成長期には、日本中のそこここで見られたシチュエーションだったでしょうが、2010年の今ではとても得がたい場面設定です。個々の住宅づくりとは別に、「まちの歴史」に主導的に関わりたいという福井さんの強い気持ちに、建設業の原点を見た思いがします。岡山県美作の野菜を販売する施設と隣接する自社の社屋の中に、パン屋や住まいの図書館等、町の人々が自然と集う場を設けているあたりには、単なる住宅営業の場面づくりとは異質な心意気が強く感じられました。
拠点の移動については、湯前さんの場合も、大阪市内のゼネコン本体を縮小し、ついには千里ニュータウンと同じ時期に開発された郊外住宅地の駅近くに住宅専業者として引越してきた訳ですが、そこには既に相当の築後年数を経たマンションが多く、その住戸内リフォームから徐々に木造住宅まで業域を拡大してきたというその経緯が、まさに時代の移り変わりをそのまま体現していて、とても興味深かったです。湯前さんは「半径5キロ以内の仕事しかしない」と言い切り、リフォームやリノベーションの時代には、技能を身につけた人材=新しい時代の大工こそビジネスの基本になるという信念で、若い大工を社員として育てています。彼らを積極的にまちの活動に参加させるのも、新しい時代の大工にはそうしたまちの人々とのコミュニケーション能力が必須だと考えているからだとのこと。湯前さんの「今は以前のような分業の時代ではない」という時代認識はとても的を射たものだと思います。
工務店とまち、そしてそこに住む人々のライフスタイルとの間に、明らかな関係が生まれつつあることを確信させられる取材になりました。「工務店」や「大工」にかわる新しい呼び方を考える必要がありそうです。
(松村秀一)
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