郊外住宅地の復興 −街を元気に−

郊外住宅地を元気にするいくつかのアイディア

入会地をつくろう
 郊外住宅地の多くは、それ以前はほとんど人が住んでいないところを造成した。だから、生活基盤のほとんどは開発者が計画的に造った。また、そうしないことには地元自治体からの開発許可が下りなかった。問題は、竣工後にその生活基盤を誰が所有し、管理しているかである。住宅地を支える生活基盤は、個人の所有地を除いては、道路も公園も街灯も街路樹も全て公共に移管されている。だから、郊外住宅地を所有権で塗り分けてみると、「公」と「私」の2色になる。「共」に相当する部分が全くない。それが、郊外住宅地を空虚な場にしている。もし、「共」で所有する空間があれば、その住宅地では俄然緊張感が高まる。誰かに利すれば、誰かが害を被る関係から、「痛み分け」「お互い様」「協力」「協働」の関係が産まれる。
 そうした場所は、近代以前の日本の集落では「入会地」と呼んでいた。例えば、屋根を葺き替えるカヤ等を育てる場も入会地の一種である。そこで関係を取り結ぶ集団が「結い」である。しかし、住宅地に「公園」はあるが、それは公共が所有し管理するもので、遊具が壊れれば役場にクレームをいうだけ、誰がどう使っていても、結局は無関心という空間になっている。
 そこで、敢えてその住宅地に住む人が運命共同体になるための「入会地」を取り戻してはどうか。実は、昨今の財政事情の悪化のために、公の力も随分弱くなっている。公は、元をただせば、最大の「共」ともいえるが、公の立場にたてば、一つずつの住宅地や、ましてや小さな公園の一つずつに目や管理、お金も届きにくくなっている。そうであれば、住宅地内の公空間の一部を地元住民の共同管理の空間として逆移管してもらってはどうか。そこで、草花や植木の苗を育てれば現代の入会地に成り得る。住民の利害がぶつかりあう「リアルな空間」を取り戻すことが住宅地の元気回復の第一歩である。


クラブハウスをつくろう
 入会地ができたら、そこに「クラブハウス」を建てたらどうだろう。昔なら、さしづめ「寄り合い所」だが、21世紀の郊外住宅地では「クラブハウス」の名がふさわしい。
 建物の雰囲気は、団塊世代の男性が接待でよくいったゴルフ場のクラブハウスのイメージである。日本の自然発生的なリタイアメント・コミュニティをアメリカのそれに近づけるために、その場を拠点にしてさまざまな「企画」を考えればよい。米国流のリタイアメント・コミュニティはゴルフ場と各種スポーツ施設が必須アイテムであるが、日本の場合は、クラブハウスに参加者が集まり、最寄のゴルフ場まで送迎してもらえばよい。スポーツ施設も同様である。ゴルフ場は平日客の確保、利用者は送迎付き割引料金になれば、双方にとってwin-winではないか。
 また、クラブハウスは床暖房やバリアフリーなどの良さを体験してもらう場所でもある。建築や設備の良さは、体験しないと分からない。そこでの体験を個々の住宅の改善に繋げるのである。古い住宅のリフォーム、建替えなど郊外住宅地にはたくさんの住宅需要が眠ったままになっている。さらに、昼間はカフェ、夜はバーになる空間がほしい。郊外住宅地には男性の居場所がない。ゆっくりコーヒーが飲める、一人でお酒が飲める空間はほしい。
 その一方、熟年男性と同様に孤立しがちな若い母親への配慮も重要である。育児経験豊富な先輩からの助言、子育て仲間との情報交換ができれば、子育てにゆとりが生まれる。子供たちも、同世代と遊び、たまには喧嘩をするような経験がほしい。だから、クラブハウスは子育て支援の場も兼ねる。
 このようなクラブハウスを、できれば住民の共同出資で作れるとよい。ファンド方式である。当初資金の不足分は借り入れる等して、未来の利用料で返済していく。経済的にもあえて運命共同体とすることによって、お互いの協調関係を築くのである。クレーマーやフリーライダーお断りの手立てでもある。

空地・空家を活用してペンションにしよう
 誰しも住み慣れたところで、老いの時を過ごしたいと思っている。しかし、夫婦だけ、まして単身になると、最後は子供の近くに引っ越すか、施設に入らないといけないのではと思ってしまう。
 その心配をなくすために、住宅地の中に、好きなときに気軽に行ける、気が向けば泊まれる、もっと気に入れば、そのまま住んでしまうようなペンションがあったらどうだろう。自分の家はもちろんそのままにしておいてよい。
 こうした、通って、泊まって、住めるような場所を、介護保険制度では「小規模多機能施設」として、日常的な生活圏域に設けることを計画している。しかし、郊外住宅地には、もう少し柔らかい「ペンション」の方がふさわしい。
 どの郊外住宅地でも昨今、空地、空家が目立ち始めている。そこで、空家に少々手を入れ、近くの熟女たちが寄り合う居場所にする。あるいは空地にペンション風の建物を建て、老後の暮らしを支える安心の空間とする。そこは、子供に呼び寄せられて住み替わってきた高齢者の居場所にも成り得る。田舎の家と、このペンションを自由に行き来できるとすれば、「呼び寄せ老人」という言葉も消えるかもしれない。では、こうしたペンションをどう実現するかだが、この場合にも共同出資、ファンドの仕組みを取り入れたらどうか。若年世代も親の老後のために、自分の未来の老後のために、共同出資者になるのである。転居をする場合には、その権利を譲れる仕組みにしておく。また、ペンションに住む等して本格的に利用する場合には、当然、別に利用料が発生する。その費用は個人払いとするが、元の家を転貸する仕組みを利用すれば、その家賃収入で賄うことが十分可能である。同じ住宅地内で移り住みあう循環の仕組みを作るのである。専業主婦の老後には、ペンションがよく似合うと思う。

郊外住宅地を別荘地に
 日本全体の人口が縮減していく中にあって、特に、その現象が激しい地方を元気にするために、都会と地方の両方に住もうという「二地域居住」に、国や自治体が取組んでいる。しかし、現実として、距離の離れた二地域を住みこなすのは、たいへんなことである。そこで、ここでも発想の転換である。どんな地域であっても、町中と郊外がある。だから、小さな地域内で、町中と郊外の二点を住み交う「二点居住」を考えてはどうか。
 ウィークデーは、町中で生活する。週末は郊外住宅で「地産地消」の暮らしを体験する。山を削るなどして無造作に開発したところなどは、週末に住みながら、少しずつ自然に戻していく。
 退職者の場合には、町中の住宅を残したまま、郊外の住宅地に移り住むのでもよい。そうなれば、その住宅地は、本物のリタイアメント・コミュニティになる。

 「選択と集中」、「負け組の郊外」ではなく、郊外住宅地が元気になる方法はたくさんある。そして、これらは、街に根付いた建築士や事務所の活躍があってはじめて実現できることでもある。建築士は、まず知恵者でなければならない。