郊外住宅地の復興 −街を元気に−

郊外住宅地の魅力と欠点

大都市では高度経済成長期に、地方都市ではバブル経済期に花開いた郊外住宅地が、現状では、何か黄昏れているような感がある。元気な声がこだました子供たちも巣立ち、ひっそりとした佇まいの郊外住宅地が多い。
 日本人は、元来、悲観主義を好むのか、65歳以上の高齢者がその地域の人口の半分を超えると「限界集落」と呼ぶ。発端は、中山間地や離島の過疎化や高齢化を研究されていた社会学者の命名によるとのことだが、今では、東京都心の戸山団地(旧戸山ハイツ)も「限界集落団地」ということになっている。郊外住宅地は一時に開発され、一時に同年齢、同種の人たちが大量に入居したので、時間の経過とともに、すぐにこの「限界集落」になる可能性が高い。そこで、「選択と集中(では、選ばれなかった所はどうすればよいのか)」がいわれ、「(好きな言い方ではないが)勝ち組の都心、負け組の郊外」という、分かりやすいが、実は残酷な図式が示されている。果たして、この図式は正しいのだろうか。それにはまってよいのだろうか。
 その問題意識から、学生たちと、東京郊外のある典型的な戸建て住宅だけの2000戸規模の郊外住宅地を対象にした研究を最近行った。テーマは、「郊外住宅地の居住価値」である。実際に、その住宅地に住んでいる居住者に、自らの居住環境を評価してもらい、そこから郊外住宅地の価値を評定してみようという試みである。その結果、コロンブスの卵ではないが、実に面白いことがわかった。何がわかったかというと、「時間がたてばたつほど良くなることがある」ということと、それらは「一人だけで、一世帯だけでどうがんばっても実現しないこと」がわかったのである。
 いくつかの例をあげてみよう。年々大きく、豊かになり、端正に手入れされるほど見事になっていく緑が街に連なると実に素晴らしい景観、街並みになる。いわば、「景観価値」「緑価値」である。また、紆余曲折があってもどんな人が住んでいるのかお互いにわかりあえば、困ったときには助け合う土壌が醸成される。いわば、「コミュニティ価値」である。PTA活動や子供会の活動、子供のための防犯活動の活発さ等が反映される「学校価値」等もある。時間をかけ、住民相互が力を合わせたからこそ、良くなっていく要素が居住環境の中にはいくつもある。できたての住宅や、住宅地ではあり得ない良さが発見できた。
 さらに、研究結果で興味深かったのは、こうした年月を経て、人が力を合わせたからこそ高まる価値を、途中入居者、いわゆる中古住宅を購入して転居してきた人や、最近になって住み替わってきた人たちほど、当初からの居住者よりも高く評価している点である。この人たちは、いわば居住価値の「目利き」といえる。(図2)

fig2

 現下の、我が国の不動産評価の仕組みでは、新しいことだけが価値を持ち、古いものはおしなべて評価しないことになっている。不動産価値、すなわち価格は、駅への至便性、建物の新しさ、土地の広さで決まる。上述したような環境要素は価格にはほとんど反映されない。それを密かに見抜いて、格安でその環境を手に入れてたからこそ、「目利き」というわけである。
 しかし、一方、郊外住宅地にはたしかに欠点もある。最も評価が低いのは、買物や医療環境等の利便性である。特に、楽しむための買物や娯楽環境に関する評価が低い。ショッピングを楽しみたい熟年女性や、飲み会、人付き合いが大好きだった退職者にとっては少し寂しい環境である。特に、社会の第一線で働いてきた男性にとっては、丘の上の環境は手持ち無沙汰で、何か始めるにもどうしてよいかわからない人も多いのではないか。調査対象とした住宅地では、防犯活動に力を入れ、散歩しながらのてくてくパトロール、犬と一緒にワンワンパトロール、自治会で購入した青パトを使ったカーパトロールを実施している。それには、多くの退職男性が参加し、空巣ゼロ等の大きな成果を上げている。しかし、郊外住宅地の土地利用は単純すぎて、わくわくしたり、楽しさや生き甲斐が感じられる場が少なすぎる。
 もう一つ、評価が良くなかったのは、老後の生活を支えるサポート環境である。特に、男性よりも女性の方がこの点を厳しく評価している。男性は、奥さんが元気でいるかぎり、老後生活の面倒は何とかみてもらえると暗黙に思っているのだろう。しかし、女性はそうはいかない。未亡人になった後のことまで考えると、このままの郊外住宅地では不安がある。
 そこで、必要なのは、逆転の発想である。郊外住宅地を「限界集落」と捉えるのではなく、「ハッピイ・リタイアメント・コミュニティ」と捉え直してみればよい。アメリカの中産階級の人たちの中には、50歳くらいで引退して、アリゾナやフロリダの何万人規模で作られたリタイアメント・コミュニティにわざわざ移り住む人がいる。それほど大がかりでなくても、都市近郊には未亡人が静かに暮らせる小規模なバンガロータイプの住宅で構成されたリタイアメント・コミュニティがいくつもある。アメリカ人は、それをわざわざ新品で作るが、日本の大都市の郊外住宅地は、わざわざ作らなくても既に「自然発生的なリタイアメント・コミュニティ」が出来上がっているのである。そこが元気に活気づくように、何かを足せばよいのである。
 また、日本人のメンタリティとして、「老人ばかり」というのも厭である。多世代混住、子供たちの声を聞き、走り回る姿を見ていたい。子供たちにとっても、人生の経験を経た老人たちから多くのことが学べる。実は、小さな子供のいる世帯のニーズと、高齢者のいる世帯のニーズは一致する点が案外に多い。防犯、防災、日常的な見守り、万一の時の医療サービス、介護・看護等のサポートサービス等は老若両世代にとって必要である。そして、これらこそが、今盛んに云われている「安心・安全」に他ならない。年月を経た郊外住宅地こそ、その安全・安心を老若両世代に対して提供し得る可能性を秘めている。