雄大な風景のなかの開かれた居間
60年程前。いわゆる「昭和」のど真ん中の時代。テレビよりも映画に娯楽の中心性があった頃のこと。鉄道旅を扱った喜劇物なども結構ありました。喜劇もシリアスドラマも何でもこなす芸達者、伴淳三郎やフランキー堺あたりが小さな駅の駅長さんや車掌さんなどの鉄道関係者を演じていたりするともう最高。地域の人たちから親しまれ、職場である駅と、そう離れていない家との二拠点居住のような、のどかな田舎暮らしの風情を感じてほっこりした気持ちになってしまいます。
今回の南阿蘇鉄道の二駅は、あのほっこりした気持ちを思い出させてくれました。長陽駅と久永屋の久永操さん、南阿蘇の里白水高原駅とひなた文庫の中尾友治さん・恵美さん夫妻。駅長さんでも車掌さんでもないですが、店を開いている時は、鈴木毅さん言うところの「主(あるじ)」、駅舎の主です。指定管理者だったりもするわけですから、そして何と言っても、駅の本屋さん、駅の資本ケーキ屋さんが開いている週のうち2日間は、誰でも気軽に話に行ける感じなわけですから、地域の人たちから親しみを込めて「駅長さん」と呼ばれても良いように思います。
この新しい、人口減少時代の無人駅の「駅長さん」たちは、その駅の建物とまわりの圧倒的な風景を気に入り、自らそうなりたいと町に申請するなどしてそうなった人たちで、会社の中での配置転換等で駅長や車掌になった昭和映画の中の鉄道関係者たちとはちょっと違います。そして、本が好きだから本屋さん、ケーキに関して腕に覚えがあったからケーキ屋さんと、どちらも自らの人生の核心にある「遊び」の領域と関係付けることで、ガランとした駅舎を蘇らせた点でも、昭和映画の駅長さんや車掌さんたちとは違います。もっと自由で、もっと私的で、でも誰にでも開かれているという意味で公共的でもあります。どこか懐かしいけれど新しいのです。どなたかが、こういう駅舎のことを言うのに「開かれた居間」という表現を使っていました。そう、その感じです。
最近よく、少し曲面がかった高層建物が、ところどころの緑と一緒に並ぶ中を、新しい移動装置のようなものに乗った人々が行き来する、スマート・シティっぽい未来都市の絵柄を目にすることがありますが、私が生きてみたい「未来」でないことに本当にがっかりしてしまうことしばしばです。誰が何を考えたら、私たちの大事な「未来」があんな在り来たりの絵柄になるのか、想像もつきません。お仕事の人たちがお仕事で描いているに違いありません。そんな中、今回お会いした懐かしい「駅長さん」のようなお二方と、いつでも誰でも来てよといわんばかりに開かれた居間のような駅舎の設え、そしてそれを包む圧倒的な阿蘇の自然に触れ、こういうのこそが「未来」でしょうと思わずにはいられませんでした。良い旅でした。
(松村秀一)
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