講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


9.まとめ


路線バスのようなまちの空間

東京に住む私が、このところ一番よく使っているのは路線バスです。太川陽介・蛭子能収コンビの人気番組を見ていてもわかるように、路線バスは通勤電車と比べると遥かにクールではありません。一度に運べる人数は圧倒的に少ないですし、停留所の間隔も短く、移動時間の中で停まっている時間がかなり多くを占めます。目的地に対して直線的に動いてくれるわけでもありません。電車と比べると時間もかかります。でも、だからこそ路線バスを選ぶのです。

余程混んでいない限り、路線バスの乗客の殆どを認識することは簡単です。場合によっては運転手の人柄の一端に触れることもできます。電車では考えにくいことです。そして、路線バスには、お年寄り、障害をお持ちの方、子育てのママ、会社員、学生、学童等々、実に多様な人たちが乗ってきます。狭い空間にごちゃまぜ状態です。なのに電車程にはテンションが高くないのが路線バスの不思議なところです。

今回の金沢方面への取材旅行では、社会福祉法人佛子園の3カ所の拠点を訪問させて頂いたわけですが、新幹線開通直後の安倍首相の訪問で全国に名を馳せた「シェア金沢」も、雄谷理事長の育った寺の敷地に展開した「三草二木行善寺」も、その原点には小さな町の廃寺をリノベーションした「三草二木西圓寺」での試みがあることを再認識させて頂きました。私にとってはこれが大きかったです。

三草二木西圓寺にお邪魔したのは二度目ですが、その雰囲気に路線バスと似たものを強く感じています。お年寄り、障害をお持ちの方、子育てのママ、職員、学生、学童、そして温泉目当てに訪れた家族連れ等がごちゃまぜ状態です。なのにテンションが高くなく、ゆったりとした気分でいられる不思議で自然な暮らしの空間なのです。この路線バスのような雰囲気はそうそう狙ってできるものではないと思われますが、それを狙ってつくり育てているのが佛子園の凄いところだと感心しています。

ここには、これからのまち空間が目指すべき状態の一つ−様々な人がごちゃまぜ且つ自然に混ざり合い、リラックスして暮らせる路線バスのような空間−が示されていると思います。

(松村秀一)



学生時代に建築計画の研究室に所属して以来,数々の計画住宅地を見学や調査で訪問してきた。その度に感じたのはどの住宅地も「寂しい」ことである。多くの場合,ほとんど人が歩いていない。わずかに小さい子を連れた母親か宅急便等の業者を見かけるくらいで,都市型をうたって多少機能を複合させた場合もあまり変わらない。

「シェア金沢」の風景は違う。これまでみてきたどんな計画住宅地よりも町らしい。犬を連れてやってきた近所の家族が歩いている。その向こうには道端のバスケットゴールにシュートを決めている少年がいる。共同店舗の前で年配の方が立ち話をしている。障がいをもつ青年が見守られつつ普通に歩いている。生きた街角があちこちにある。
店,就労の場,ドッグラン,通り抜け道路,福祉・児童入所施設,高齢者の住まい,アート,オフィス,温泉,レストラン,ライブハウス,助産師さん。ここには,町にあったらいいなと思っていたもの(しかし計画住宅地に持ち込むのはなかなか難しいもの)が全部ある。これらを組み合わせることで,計画された新築でも生き生きしたまち・環境を造ることができることに驚かされた。しかもそれを主導したのが都市プランナーなどの専門家ではなく「佛子園」という社会福祉法人なのだ。

お寺から福祉施設へのコンバージョンとして注目される「三草二木西圓寺」。元本堂が地域に開かれた食堂,駄菓子や地域の物産などを販売するコーナーとして使われている様子をみると,元々パブリックな性格をもつ寺の空間には民家とは違うポテンシャルがあることを感じる。町民無料の温泉など注目すべきところは沢山あるが,しつらえのセンスや全体にただよう雰囲気にもいつも感心させられる。掲示物の多様な活動からも,ここには主(あるじ)とそれを支える意欲的な人々がいることが伝わってくる(初回訪問時に「第2回お寺でカポエイラ」というポスターがあってびっくりした。また当時ブータンからの研修生が来ており「ブータン料理」のメニューもあり大変美味しかった。「シェア金沢」もそうだが「佛子園」の施設はどこも料理が美味しい)

3度目の訪問となる今回の取材では,ますます地域に馴染んでいる「西圓寺」と「シェア金沢」の様子を拝見し,佛子園の本部である「三草二木行善寺」で,実績を踏まえスケールアップして進行中の計画も見学させていただいた。さらに「輪島KABULET」には完全に圧倒されてしまった。海外青年協力隊で実力をつけた若者を日本の地域で生かすというのはたいへんなアイデアだと思う。当分佛子園の動向から目が離せそうにない。

以前は地方の施設見学というと,○○大学の□□先生のご指導を受けて計画しましたとか,△△省の◎◎事業のモデル地区です,といった専門家や行政主導のものが圧倒的に多かったが,気がついてみると最近見学させていただくのは,佛子園のような,ビジョンある各地の当事者・リーダーが先導する新しい実践ばかりである。専門家や国や制度はむしろ後追いしている状況とさえいえる。時代は確実に変わっている。

(鈴木毅)



シェア金沢の話を詳しく伺い,実際に見学して強く心に響いたことは「地域と共に暮らすこと」もっと正確にいえば「自分は地域の一員であり,自分が地域に対して何ができ,自分が地域をつくる担い手であることを強く意識し,行動すること」を全面的に掲げて地域づくりが展開されており,それが見事に実現されているということである。

良識ある市民にとって,そんなことは当たり前といわれそうだが,これまでの地域において,ごく一般的な住民の意識は,ある地域にただ暮らしているだけというレベルであり,地域との関わりは個人,家族の自由であり,気の合う者同士はもちろん付き合うだろうが,強制されて他者と関わることを嫌い,そういうこともあって,地縁とのつながりが強制される傾向にある田舎よりも地域との関わりが割合少なくて済む都会に人が集まってきた訳である。

高度経済成長時代,少子化・超高齢化・単身世帯化が叫ばれる以前の社会であれば,無縁社会でも何とか地域は存続し,個人の生活は成立できたであろう。しかし,これからはそんな暢気なことを言っていると,確実に個人は孤立し,確実に時代に取り残され地域と一緒に社会そのものが崩壊していくことになる。

実際に,シェア金沢には地域と暮らすプログラムが事前に組み込まれている。たとえば,家賃を払う代わりに自分が地域に対して何ができるか考え,どんなことでも良いので,ボランティア活動として地域に対して還元するように各住民には入居時に課せられている。建築的・地区計画的にも様々な工夫があり,住戸の間に塀も何もなく,どこまでもオープンで,道は曲がりくねり,個人商店があって,パタン・ランゲージに習った様々な仕掛けのおかげか,物理的な垣根も低くつくられている様に見える。

正直なところ,何もかもストーリーが出来過ぎていて,テーマパークのようで違和感を覚えないといえば嘘になる。しかし,地域どころか,隣の住民とも関わりを持たずに生きていける無縁社会を作ってしまい,すっかりそれに馴染んでしまった我々にとって,事前にその様なプログラム,住まい方のルールがあれば,何の迷いもなく地域と暮らすことに入っていける訳であり,一つの手法としては有効だと言える。このような実験的,教育指導的とも受け取れる地域再生プログラムを様々な形で試み,数多く石川で事業展開している佛子園の活動に対して,ただただ頭が下がる思いである。

更にシェア金沢の最大の特徴として,子ども,高齢者,知的障害者,健常者,全ての住民が平等に,対等に,普通に地域と関わり,地域づくりに携わっていることである。 

この様な先進的な事例を見て,精神論的・概念的ノーマライゼーションではなく,普通に地域と生きるとはどういうことかを考えさせられた。また,自分が今現在住んでいる地域に対して,私自身何ができるのかを真剣に考えるきっかけにもなった。

(西田徹)




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