松村 |
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黒野さんはどういった前提で研究をなさっているのですか。 |
黒野 |
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都市ではない、という前提があると思います。散居村は、都市のように常に人やストックが入れ替わっていることが特徴ではないので、古くから残っているストックとしての民家や街並みを現代の視点で再評価できないか、ということに関心があります。 |
松村 |
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空間の型が残っていることによって、ライフスタイルにも少なからず影響を及ぼしているのでしょうか。 |
黒野 |
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散居村でも生活は現代的になっていますが、残っている空間を生活に合うように、その別の役割を見出そうとしています。 |
松村 |
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例えば砺波の研究がありますが、かつては水路が生活に重要な役割を担っていて、一見ばらばらに配列されている建物群がそれとの対応で構造化されている集落である、という理解をもっています。現在では、その水路を介したライフスタイルは存在していないように思いますが、その場合「現代的」という視点から、どのようなことが研究のポイントとなるのですか。 |
黒野 |
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研究としては、今残っている型が近世から近代にかけてどのように残ってきたのか、ということをやっています。例えば、昔は燃料として使われていた屋敷林を、現在は環境・景観的な配慮から条例を整備して、屋敷林を残していくための補助をしています。そういったことは「屋敷林」が存在するから起こることだと思います。
また、他の例では「雁木」がありますが、もともと雪が降ったときの人の通り道であったが、現在では道路に自動車が通るので高齢者はそこを通ります。自動車社会になったので、位置付けが変わりました。
そのようなことを見出していかなければならない、と思います。 |
鈴木 |
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空間やモノに別の意味が発生しうることを信じている、ということですね。 |
黒野 |
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空間の方に思い入れがあります。 |
鈴木 |
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今までは、ライフスタイルに合わせてその都度作り直すことが多かったが、そうではないということですよね。 以前伺った「桂離宮」の論文のお話があったと思いますが。
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黒野 |
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それは桂離宮の成立過程についての論文ですね。その話によると、桂離宮ができたのは2つの流れがあるということです。
一つは「茶室」からという経路で、隠遁者として一人で生活している「西行法師」や「鴨長明」などの暮らし方があり、そういう人たちの空間は一室ではなく3室構成であった、という分析がなされています。その3室はどんなに小さくても、日常活動/寝室/書斎・仏間の使い分けがなされているということでした。その中の空間で個人のための空間が独立して「茶室」になり、それが大きくなったものが「桂離宮」である、という分析だったと記憶しています。
私が興味を持ったのは、単身者で住む家に関しては建築計画学では「食寝分離」を謳ってきましたが、そういった2つの分類だけではなく3つめの空間として個人のための空間が原型としてあった、ということです。
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鈴木 |
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ライフスタイルのテーマには「どのように住むか」ということと「どうやって計画するか」ということがあります。多様化するライフスタイルの中で、供給する側としてどうすればよいのか、ということに興味がありますね。
基本的には、黒野さんのおっしゃるように「型」対「型」ではなくて、自然発生的にでてきたモノとの応答で建築を作っていく、という方向性があるのではないかと思います。
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