中でも、米の積出港としての繁栄の歴史を象徴する施設が、山居倉庫です。山居倉庫は、1893(明治24)年に酒田米穀取引所の付属倉庫として建設されたもので、2022(令和4)年までの129年にわたって現役の農業倉庫として利用されました。内部の湿気や熱を逃がし、屋根からの熱を防ぐため二重屋根構造になっており、また西日と強風を防ぐためにケヤキが植えられています。こうした構造上の工夫や厳しい選別審査などによる徹底した品質管理によって、「山居米」は高く評価されました。
現在でも創建当初の姿をよく残しており、倉庫の一部は資料館や観光物産館として整備されています。倉庫群とケヤキ並木が織りなす景観は多くの人々を惹きつけ、現在の酒田を代表する観光地となっています。また、ケヤキは、酒田市の「市の木」に指定されていることから、地元住民にとっても酒田の象徴的なまちなみであるともいえるでしょう。
写真2:山居倉庫とケヤキ並木
ドラマ・CMのロケ地としても有名
◆中通り商店街~酒田大火とその復興~
庄内の恵まれた気候と、最上川河口に接する港町としての立地は、酒田が発展する大きな要因でした。一方で、強風地帯として知られる庄内平野に位置している酒田は、過去にも幾度となく火災に見舞われてきた地でもあります。
1976(昭和51)年10月29日に発生した酒田大火は、中心市街地の22.5haを焼失、1822棟を焼損させる大規模な都市大火となりました。その復興事業は、①将来交通量に対応した幹線道路の整備、②近代的な魅力ある商店街の形成、③住宅地の生活環境の改善整備、④商店街と住宅街の有機的な結びつけを骨子として計画されました。具体的には、広幅員の街路整備、公園や緑地の整備、防火水槽の設置などです。中でも特徴的なのは、中通り商店街に整備されたセットバック方式のアーケードでしょう。アーケードの存在が延焼の一因となったこともあって、道路上のアーケードは撤廃され、代わりに通り沿いの建物が1階部分を1.5mセットバックすることでアーケードを形成することになりました。これによって、風雪を凌げる利便性と防災性の両立に成功し、独特の景観を生み出しています。また、中通りは酒田の中心市街地である中町地区を東西に貫き、酒田の東西の都市軸としての役割も担っています。