橋と共にあるまち、音戸

1. はじめに

広島県呉市音戸は、牡蠣養殖業などの水産業を主要産業とする人口約1.1万人の地区である。地理的には瀬戸内海に浮かぶ倉橋島の北部に位置し、呉市中心部とは約10km離れている。
音戸の東側に隣接する幅およそ200mの海峡「音戸の瀬戸」は、広島港と安芸灘を結ぶ主要航路であるため非常に多くの船が航行する(写真1)。同時に、狭い可航幅と複雑な潮流により、古くから海の難所としても知られている。


写真1:音戸の瀬戸。筆者らが訪れた際も、短時間のうちに多くの船が行き交っていた。(筆者撮影)

2. 2本の「音戸大橋」

本州の呉市中心部から倉橋島の音戸にアクセスするためには、音戸の瀬戸を越える必要がある(図1)。江戸時代以降、音戸と対岸の警固屋地区を結ぶ音戸渡船がその役割を担っていた(注1)。


図1:音戸周辺の地図(国土地理院 地理院地図Vectorを筆者が加工して作成)

しかし、1日で250往復する渡船と、1日700隻にものぼる音戸の瀬戸を通過する船舶が大混雑を引き起こしていたことから、1961年に音戸大橋が架けられた(写真2)。大型船舶が航行できるように桁下高さを23.5m確保した点、狭小な用地内で高さを稼ぐために国内初となる2層半螺旋型高架橋を採用した点が音戸大橋の大きな特徴だ(写真3)。塗装色は、平清盛が音戸の瀬戸を通って厳島神社に参詣したとの伝説より、厳島神社の大鳥居の色に合わせて朱赤にしたと言われている。


写真2:第一音戸大橋(音戸の瀬戸公園より筆者撮影)


写真3:音戸大橋 2層半螺旋型高架橋の螺旋部分(筆者撮影)

2013年には、慢性的な交通渋滞を解消するために、音戸大橋の北側に並行して第二音戸大橋が架けられた(写真4 )。第二音戸大橋は橋長、桁下高さともに音戸大橋よりも大きい。塗装色は音戸大橋と同じ朱赤だ。


写真4:第二音戸大橋(筆者撮影)

3. 音戸大橋と音戸の景観

筆者らが音戸を訪れた際、常に音戸大橋・第二音戸大橋は圧倒的な存在感であった。改めて考えると、その理由は主に2つあると思われる。まず、音戸の建物とスケールが違う。音戸には基本的に2階建ての住宅、高くとも3階建てや4階建ての公共建築物などが並ぶ。一方で、音戸大橋は桁下高さだけで8階建てのビルと同じ高さを誇る。
加えて、主要交通軸からの視認性が高い。音戸大橋や第二音戸大橋は東西方向に架かっている一方で、音戸の主要な歩行路である音戸銀座街と音戸旧道なつかし通り、主要な車道である国道487号線はいずれも南北方向に走っている(図2)。つまり橋と道路が直交に近い位置関係にある。結果として、移動中は頻繁に音戸大橋が目に入る(写真5、写真6)。


図2:主要道路と音戸大橋の位置関係(国土地理院 地理院地図Vectorを筆者が加工して作成)


写真5:音戸銀座街から見える第二音戸大橋(筆者撮影)


写真6:音戸旧道なつかし通りから見える音戸大橋(筆者撮影)

4. 生活に根差したランドマーク

筆者らが音戸を訪れた当初は、音戸大橋に対して地元の方々がどのような印象を抱いているのかを、特に景観面から掘り下げたいと考えていた。
しかし、実際に地元の方々に音戸大橋への印象を伺うと、生活に必要不可欠だという意識を強く感じた一方で、景観への印象を伺うことはできなかった。また、架橋で交通が便利になったことで地元店舗の利用が減り、音戸の店舗が減少したかもしれない、といった側面も伺った。
まちづくりの拠点であるおんど観光文化会館うずしおや音戸市民センターが音戸大橋への眺望を意識してデザインされていることや(写真7)、地元の飲食店に音戸大橋が描かれた絵画が飾ってあること(写真8)などから、確かに音戸大橋は地域のランドマークとして捉えられているように感じられた。しかし、生活に深く根差した音戸大橋のランドマークとしての在り方は、都市におけるタワー等のランドマークの在り方とは異なるのかもしれない。


写真7:音戸市民センターのテラスから見える音戸大橋と第二音戸大橋。螺旋の手前に見えるのがおんど観光文化会館うずしお(筆者撮影)


写真8:飲食店の店内に飾られた音戸大橋の絵画(筆者撮影)

注1:音戸渡船は令和3年10月をもって廃止となった。

参考

・ 広島県「音戸大橋(おんどおおはし)」(https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/97/ondo-bridge.htm
) 2022年12月20日閲覧
・ 広島県「第二音戸大橋(だいにおんどおおはし)」(https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/97/2nd-ondo-bridge.html
) 2022年12月20日閲覧
・ 国土地理院 地理院地図Vector

(文責:山田康祐)