豊島 みかん畑と漁業の島

◆豊島の概要

豊島は瀬戸内海に浮かぶ島であり、自治体としては広島県呉市に属する。「安芸灘とびしま海道」を構成する島々の1つであり、2008年に本州と陸路で繋がったばかりだ。産業としては瀬戸内の温暖な気候を利用したみかん栽培と、太刀魚の一本釣りに代表される漁業が盛んである。人口は最盛期の1950年には7000人ほどいたが、以来大きく減少して現在は1300人ほどとなっている。
 人口は島の東側の狭い地域に集中しており、北から山崎、小野浦、内浦の3集落が並んでいる。山崎と内浦はみかん農家が中心、小野浦は漁民が中心の集落である。今回、我々は山崎と小野浦の2集落を探訪したので、その様子をレポートする。

◆山崎 みかん農家の集落

海沿いにある市民センターの駐車場に車を停め、まず我々は山崎の集落内へ向かった。
 市民センターの裏にまわると、まず登場したのは自動車の通行できる巨大なループ橋だ。この小さな島には違和感があるほど巨大な構造物である。そもそも豊島は海岸沿いのわずかな部分を除けば平地がほとんどなく、集落のほとんどは急な斜面上に広がっている。市民センターの裏はほとんど崖のような地形だが、このループ橋によって斜面の中腹を横断する道路まで自動車で直接アクセスできるようになっているのだ。ちなみにループ橋の横には階段があり、歩行者はそこを歩くことができる。


ループ橋

ループ橋横の階段を登り切り、斜面を横断する道路を歩いていく。すると目につくのは、みかん、みかん、ひたすらみかんである。どうやらこの山崎集落は、斜面の面積のかなりの部分をみかん畑に充てているようだ。我々が訪れた12月はちょうどみかんの収穫時期であったらしく、斜面がみかんで埋め尽くされる光景は壮観であった。また、家屋が少ないので視界は常に開けており、瀬戸内海を常に望むことができた。


みかん畑

道路沿いのいたる所に、みかん畑へ続くレールと古びた鉄製の機械がある。これは「モノラック」と呼ばれるもので、要するに農作業用のモノレールだ。これでみかん畑の斜面を楽に上下することができるのである。みかん農家の集落ならではの風景である。


モノラック

 家屋もところどころに点在しているが、古びた家が多く、空き家と思われるものも多い。人口が減少するにつれ、空き家も増えているのだろう。
 斜面を下りて海岸沿いに出ると、島で唯一のコンビニがある。ヤマザキショップ山崎店である。この店舗はもともとJAの店舗なのだが、ヤマザキショップとボランタリーチェーン契約を結ぶことでヤマザキショップの看板を掲げ、商品を仕入れているのだ。そうすることで人口の少ないこの島でも好調な売り上げを維持し、過疎地店舗の新たなビジネスモデルとして注目されている店である(決して山崎集落だからヤマザキショップが進出したという安易な理由ではない)。店内は通常のコンビニの品揃えのほか、生鮮品や農作業用品などもあり、地域の生活に密着していることが分かる。話を伺うと、とくに車を運転できない地域の高齢者にとっては欠かせない店となっているようである。


ヤマザキショップ山崎店

 これで山崎集落はほぼ1週したことになる。次いで我々は南隣の小野浦集落へ向かった。

◆小野浦集落 密集した漁業集落

小野浦は山崎と違い、漁業集落である。ここはかなり路地の入り組んだ、迷路のような集落だと聞いていた。そのため、集落に入る前に市民センターで地図をお願いしたところ、快く住宅地図をいただくことができた。その地図を片手に集落内へ向かう。
 まずは海沿いの県道から室原神社を目指して集落内の道をまっすぐ登っていく。室原神社はかつて「男はつらいよ」の舞台にもなったことのある神社らしい。集落内にはこれだけでなく多くの寺院があり、歴史ある集落であることが分かる。神社の境内はこの島には珍しいちょっとした広場になっていた。子供の遊び場にもなるのだろうか。
 神社の前はちょっとした交差点になっている。ここまで歩いてきた道はほぼまっすぐで自動車も通れる程度の道幅はあったが、この先はどの道を選んでも歩行者がやっとすれ違える程度の道幅しかないようだ。この小野浦集落が先ほどの山崎集落とは全く異なる空間構成をしていることが分かる。


室原神社前

 一本の道を選んでさらに進んでいく。クネクネと曲がった見通しの悪い路地が、アップダウンを繰り返しつつ密集した住宅の間を縫うように走っている。階段の脇道も多く、公共空間と私有空間の境界も曖昧である。ここまで密集した、しかも斜面上にある路地空間はなかなか珍しいのではないか。こうした路地空間は自動車も入れないし、不便なことも多いだろうが、それでも不思議な魅力がある。密集した家々から滲み出る生活感や、変化に富んだ路地の景観がそう思わせるのだろうか。


集落内の路地

 集落のほぼ最上部に、小学校兼幼稚園があった。外では幼稚園児が遊んでいて、我々のような不審極まりないよそ者にも元気に挨拶してくれた(ちなみに不審者に挨拶することが防犯上有効であることはよく知られているが、彼らは純粋に歓迎の気持ちから挨拶してくれたと私は信じている)。子供の姿を見かけないと思ったがここにいたのである。なんでも、ここはかつては小学校としても使われていたが、隣の大崎下島の小学校と併合して今は幼稚園のみなのだそうだ。子供の数もだんだんと減っているのだろう。
 さらに集落内を歩くと、銭湯跡や映画館跡があった。映画館跡は既に空き地となっていたが、近所の住民の方が教えてくれたのだ。それにしても、これほど小さな島に映画館まであったとは驚きである。かつては現在の5倍ほどの人口があったのだから、島の賑わいも今とは比べものにならなかったのだろう。


映画館があった土地と、それを説明してくださった住民の方

 海岸沿いの県道から一本内側に入った道が、かつての商店街だそうである。ここも人一人ぶんくらいの道幅しかないが、今でもいくつかの商店が営業していた。かつてはもっと賑わいを見せていたのだろう。
 県道に出たところで、住民の方に声を掛けられた(11人の集団でぞろぞろと集落内を歩く我々はあまりにも目立つのである)。話を伺うと、かつてはこの島にももっと活気があったが、近年は人口が減って寂しい思いをしているそうだ。とくに若者が少なく、漁業を引退した高齢者ばかりになってしまったらしい。我々の素性を知ると、「なんとかしてほしい」ということを言われた。ご自身はその言葉と裏腹にエネルギーに満ちた気さくなご老人だったが、その思いは切実であることだろう。


住民の方との対話

 このご老人だけでなく、映画館のことを教えてくれた方など、小野浦集落では多くの住民の方に声を掛けられ、お話を伺うことができた。この人々の距離感の近さも、この集落の魅力かもしれない。
これにて我々の豊島探訪は終了である。

◆まとめ

豊島はとくに観光地というわけではない。これといった観光名所があるわけでもないし、美しいまちなみが整っているわけでもない。しかしながら、島内を歩く中で多くの発見があったし、単純に言って楽しかった。その理由は一言で言えば、その土地に暮らす人々の生活の息吹を感じることができたからだろう。都会からは遠く離れた、小さな島の小さな集落にも、たしかにその土地に住み、その土地独自の生活を営む人々がいることを、まちなみを歩くことで感じることができたのである。案外、観光、あるいは旅行の本質は、観光名所をまわることではなく、そういうところにあるのではないだろうか。いずれにせよ、豊島は魅力溢れる島であるし、より多くの人に訪れていただきたい場所である。