琴平町 〜こんぴらさんのお膝元として発展した門前町〜

◆はじめに

琴平町は香川県の中西部に位置する人口9000人ほど(平成27年現在)の町です。町の中にはこんぴらさんという名で全国的に知られている金刀比羅宮(ことひらぐう)があり、その門前町として琴平は発展し、現在では多くの参拝客が訪れる観光地となっています。特に写真1の参道には歴史を感じさせる建物があり、階段の先にある本宮とともに観光名所となっています。今回は私たちが昨秋に訪れた琴平町について歴史とともに紹介します。

写真1:金刀比羅宮参道

◆金刀比羅宮とは

金刀比羅宮は元々「琴平神社」という名前で大物主神を祀っていました。大物主神は農業殖産、漁業航海、医薬、技芸など幅広い神徳を持つ神とされています。中世には「金毘羅大権現」と改称し、京から讃岐に流罪となりその地で崩御した崇徳天皇が合祀されました。その後、明治時代の神仏分離令によって神道の神社となり「金刀比羅宮」と改称し現在の名前に至っています。現在では航海安全の祈願に訪れる人が大勢おり、金毘羅宮の参道や本宮を散策すると船や航海に関係ある奉納物がみられました。その一つが写真2の鳥居で、左の柱には四海平穏と書かれており、海の安全祈願として奉納された様子がうかがえます。

写真2:奉納された鳥居

◆門前町としての発展

 琴平町の門前町が現在の形で発展したのは江戸時代といわれています。この時期はそれまでと比べて格段に旅がしやすくなったため旅人が多く集まるようになりました。旅人が集まったことによって一段と金刀比羅宮が賞揚され、外来の人が集まるようになりそれを満たすために門前町が形成されました。写真3のように現在も参道や門前町には土産物店や旅館が並んでおり当時の雰囲気を感じさせてくれます。

写真3:階段となった参道に立ち並ぶ土産物店

◆移り行く現在の琴平町

写真4は現在の琴平駅から金刀比羅宮の参道の入り口に向かう途中に撮影したものです。道の両側に商店が並んでいる様子がうかがえます。この場所を歩いてみると車が無かった時代の狭い道幅に2車線の車道が通り、歩行者にとっては車の往来が心配に感じられました。また、琴平町の中心であるこの地域に建物が立ち並ぶ中に駐車場があることでまちなみとしての統一感が失われていて、琴平を歩くことの楽しさが失われているように感じました。このような琴平町の魅力低減は観光客数の変化にも表れているといえます。香川県観光客動態調査報告によると琴平の観光客は瀬戸大橋が開通した昭和63年に急激な伸びを見せ年間500万人を超えていましたが、それ以降は減少傾向が続き平成28年には年間220万人ほどとなっています。もちろん観光の面だけで琴平町の魅力を語ることはできませんが、観光客数の減少幅は大きいことからも旅行者にとって魅力が下がっているといえるのではないでしょうか。

写真4:失われつつある昔のまちなみ

◆おわりに

天気が悪い中の訪問でしたが商店が並ぶ参道を通り長い階段を登り切って金刀比羅宮の本宮にたどり着いたときは達成感がありました。この達成感の後に参拝するこんぴらさんに長い間人は惹きつけられてきたのだと感じました。これからも長い歴史を経てきた琴平町が今後も魅力あるまちとしてあり続けてほしいものです。
◆参考文献

溝尾良隆(2007)『観光まちづくり 現場からの報告 新治村・佐渡市・琴平町・川越市』原書房 香川県(2017)『平成28年香川県観光客動態調査報告』 金刀比羅宮ホームページ URL: http://www.konpira.or.jp/about/history/main/page.html (2019年1月7日閲覧) 琴平町ホームページ URL: http://www.town.kotohira.kagawa.jp/pages/809 大崎定一(1972)『こんぴら物語』琴平町・金刀比羅宮社務所

(文責:宮川)