銀座通りは、私が子供のころには大変な賑わいでした。両親に連れられて,七夕祭りや歳末大売出しに行った思い出がありますが、とにかく人が多くてぎゅうぎゅうになりながら歩きました。
銀座通りとは、舞鶴城公園から500mほど南に位置する東西約200mの全蓋式アーケード商店街(写真4)で、A先生が生まれた1977年より前に繁栄のピークを迎えたようだ。この他にも、錦通り、ベルメ桜町、裏春日通りといった商店街が東西あるいは南北に入り交じる(順に写真5〜7)。衰退した商店街の一部が再開発で高層マンションに変わり、まちなみは損なわれつつあるが、皮肉にも歩いて暮らせる住民は増えている。商店街復権の兆しが見えたのは、オリオンスクエア(これも全蓋式アーケード、写真8)の東側にあるオリオンイーストだ(写真9)。レンガ調の建築にカフェや雑貨屋、ジュエリーショップなどが立ち並ぶ(水晶が多く産出された甲府は宝飾産業が盛ん)。舗装はかつて石畳だったようだが、ライフライン工事で掘り返した時に安価なアスファルトに替えたのだろうか、それも裏路地のレトロ感を醸し出している。これらの商店街の多くは、なんと新府中の武家地であり、狭い道を縦横に通して造られたものだそうだ*3(写真10)。都市保全計画を専門とする西村幸夫先生ですら「どこがかつての武家地でどこがかつての町人地か判然としない」「これだけ旧武家地の見分けがつかない都市も少ない」と言っている*3。