愛媛県内子町 〜木蝋で栄えたまちなみ〜

内子町は愛媛県のほぼ中心に位置する町です。松山市から40km、バスで約1時間、特急を利用すれば電車で約25分で到着することができます。内子町内でも八日市護国は伝統的建造物群保存地区であり、1982年には四国で初めて「重要伝統的建造物群保護地区」に選定されています。また、八日市道路は日本の道100選の1つにも選ばれています。

 

◆木蝋で栄えた町

江戸末期から明治にかけて、この地域は本芳我家を中心にハゼノキを原料にした木蝋の生産で栄えました。本芳我家の芳我弥三右衛門が新しい蝋燭の製法を生み出し、品質の向上に成功しました。また生産の効率化も可能にし、内子町は木蝋の町として栄えました。本芳我家の蝋燭は日本だけでなく海外でも重宝され、明治時代には「旭鶴」という商標でパリ万博で表彰を受けるほどでした。最盛期には23軒の蝋商があったと言われ、この時期に建設された数々の白壁の家屋が今なお残っています。現在、八日市護国には、約70 世帯、180人が居住しています。

 

◆中世の町で現代の生活

飛鳥川を渡ってすぐの北尊坊門跡から今井町に入りました。入ってすぐのあたりは比較的新しい建物が並んでいますが、筋を1つ2つ過ぎると古い町並みが広がってきます。町の中心に向かって歩いて行くと、どの筋を入っても、どこを向いても江戸時代の町並みが続きます。そのスケールは圧倒的で、数ある重伝建地区の中でも伝統的建造物の数だけでなく(地区内には伝統的建造物として、建築物が504棟、工作物が119件、環境物件が69件あり、全国で最も多い地区だそうです)密度でも一番ではないでしょうか。



写真1:八日市護国のまちなみ


写真2:住民の生活感が感じられる道


 

◆内子座

大正天皇の即位を記念し、内子町の有志によって茅葺き入母屋造りの歌舞伎劇場「内子座」が建設されました。老朽化により一時は取り壊しが検討されましたが、町民からの要望により昭和60年に復元されました。 現在は公演の場としてのみならず、地域の催し物にも利用されています。



写真3:歌舞伎劇場「内子座」


 

◆上芳我邸

上芳我家は本芳我家の分家の一つです。木蝋で栄えた内子町の当時の様子を伝統的な建築技術によって建てられたこの家屋は、平成2年には国の重要文化財に指定されました。
現在、上芳我邸は木蝋資料館として一般公開され、木蝋の商談に使用された部屋や生産作業場の窯場などを見学することができます。



写真4:上芳我邸の中庭


写真5:細かい細工が施された合わせ欄間


写真6:商談部屋の階段には引き出しが設けられている


 

当時の豊かさを感じる事のできる内子町。今回はそのごく一部しか紹介できておりませんが、是非、皆様も実際に内子町を訪れて、趣あるまちなみを直接感じてみて下さい。

(文責:河内萌未)