今井町 中世以来の自治のまち

奈良県橿原市今井町は、中世の環濠集落を発祥とした称念寺の寺内町で、平成5年に「重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)」の選定を受けています。驚くべきことに環濠集落の町割りがほぼ完全な形で残っており、町内の建物も大半が江戸時代の姿を保っています。その広さは東西600m、南北310m、その中に伝統的建造物が約500棟びっしりと並んでいて圧巻、まさにタイムスリップした錯覚を味わえます。

 

◆環濠集落

今井町へは近鉄の八木西口駅から歩いて5分ほど、飛鳥川を渡ると道路を挟んで周りと明らかに一線を画する街区が現れます。この道路は昔の濠の名残で、今井町はかつては環濠と土壁で囲まれた要塞都市だったのです。今井町に入るにはこの濠を渡り9つある門をくぐる必要がありました。また敵の侵入に備えて町内は見通しのきかない筋違いの道路で構成されていて、戦国時代の要塞都市の構造をそのまま残しています。このような今井町の歴史から町の中と外には明確な結界が存在し、今井町が外見にも異質な存在とすぐに解ります。

 

◆中世の町で現代の生活

飛鳥川を渡ってすぐの北尊坊門跡から今井町に入りました。入ってすぐのあたりは比較的新しい建物が並んでいますが、筋を1つ2つ過ぎると古い町並みが広がってきます。町の中心に向かって歩いて行くと、どの筋を入っても、どこを向いても江戸時代の町並みが続きます。そのスケールは圧倒的で、数ある重伝建地区の中でも伝統的建造物の数だけでなく(地区内には伝統的建造物として、建築物が504棟、工作物が119件、環境物件が69件あり、全国で最も多い地区だそうです)密度でも一番ではないでしょうか。



写真1:今井町の中心部


写真2:路地の奥に古いまちなみが続く


中心部のいくつかの筋は景観に配慮して電線が地中化されており、ますます今が21世紀であることを忘れそうになります。しかし町並みの保存が進んでも過度に観光化はされておらず、今井町は今も人々の生活が息づく町なのです。伝統的建造物というと文化財に指定されていたり、資料館として公開されていたりすることが多いですが、ここではそういった建物は一部で、大半は一般の民家あるいは昔ながらの個人商店です。最近はギャラリーやカフェといった見物客向けの店も少しずつできてきているようですが。私が訪れた時も観光客はまばらで街は静謐そのもの。その一方で恐らくその家の子供がピアノの練習をしていたのであろう、江戸時代からの町家の中から音楽が流れてきたりと、生活感を感じることができて感動を覚えました。



写真3:日常が息づく現役の住宅街


 

◆今井町の自治文化

それぞれの民家は意匠をこらした窓や家紋を配しており、この町がかつて非常に裕福だったことが伺えます。先述のように今井町は戦国時代に環濠集落を発祥としていますが、天下泰平の江戸時代になると、自治都市として経済的に栄え南大和の商工業の中心であったそうです。今井町は江戸幕府により自治権が認められ、藩のものとは別に警察組織や町の掟、さらには独自の通貨も持っていました。明治になると経済的な繁栄は終焉しましたが、その文化や町民の自治の意識は残ったのでしょう。現代において江戸時代からの家屋に暮らすことは相当な苦労もあると察します。重伝建地区に指定されているため、建て替えやリフォームに制限がかけられていますが、それだけでなくゴミ出しや掃除、路上駐車・駐輪など、日常生活においても町民がルールを守ることによって町並みが守られています。そう思って歩くと町内の至る所に住民の誇りや自治意識の高さを感じます。



写真4:意匠をこらした住居


写真5:手入れが行き届いたまち


休憩を挟みながらも町内を3時間以上歩きまわりました。このように町全体が古いまま残っていることは奇跡的ですが、それも今井町の文化の賜物と感じます。中世以来、要塞都市であり自治都市であった今井町の住民は、その誇りを持って暮らしていました。その誇りゆえ鉄道の侵入を拒んだのは歴史のアヤですが、その結果開発されずに残った中世の町並みは、住民の自治意識の高さと今井町に対する誇り、そして努力によって今後も受け継がれていくことを期待しています。

(文責:藤井純一郎)