太宰府市宰府宿地区~天満宮から発展した門前町~

◆はじめに

太宰府市は福岡県の中西部に位置する人口72000人弱(2022年現在)の小都市です。東の宝満山や市を横断する御笠川などの豊かな環境、平成17年に開館した九州国立博物館、太宰府天満宮を始めとした数々の史跡といった自然・文化・歴史的資産が存在し、多くの来訪客で賑わう観光都市となっています。今回はその中でも太宰府天満宮とその門前町である宰府宿地区について歴史的変遷と景観保持の取り組みに触れながら紹介します。

◆太宰府天満宮とは

太宰府天満宮は菅原道真公の墓所の上に社殿を造営し、道真公の御霊を祀った神社です。「学問・至誠・厄除けの神様」として知られており、受験前に参拝された方もいらっしゃるのではないでしょうか。祀られている道真公という人物は平安時代に京都に生まれ、幼少期より学問の才能を発揮し、努力を重ねることで宇多天皇に重用され、学者・政治家・文人として活躍しました。しかし、後に藤原氏の政略により京都から大宰府に流され、この地で生涯を終えました。道真公の死後、朝廷内で怪死事件が頻発し、これを道真公の祟りと恐れた醍醐天皇が道真公の墓所に太宰府天満宮を建立しました。以後、太宰府天満宮は全国の天満宮の総本宮として多くの参拝客が訪れています。


写真1:太宰府天満宮の楼門(筆者撮影)

◆門前町の歴史

太宰府天満宮の門前町は、天満宮の参詣とともに周辺の名所旧跡をめぐる「さいふまいり」が流行した江戸時代に発展しました。江戸時代には、「社家」とよばれる代々天満宮に奉仕した家が、参拝誘致のために提供した宿や旅籠や木賃宿が整備されるなど、宿場町が整備され、全国の社寺へ参詣する旅行が流行しました。江戸時代の後期には梅ヶ枝餅が名物として定着し、様々な土産物屋や旅館が立ち並ぶようになり、現在の太宰府天満宮門前町の原型が形成されました。


写真2:沿道の土産屋(筆者撮影)

◆景観保持の取り組み

このような中世から発展を遂げてきた入母屋造りと切妻造りの混じる門前町の街並みを守るために景観形成ガイドラインが策定されています。歴史的建築物を基準とした2階部分の壁面位置の統一や12mの高さ制限、参詣者の利便性を高めるために明治から設置され続けている下屋庇を引き続き設置するなどの基準を設けることで歴史的な街並みを維持しているようです。


写真3:壁面位置や庇の統一された街並み(筆者撮影)

このガイドラインを守りながら、古くからある店舗が修繕されるだけでなく、新しい店舗の出店も進み、景観を維持しながら店舗の新陳代謝が起こっています。有名な隈研吾氏の設計したスターバックスコーヒーもその内の1つです。


写真4:近年出店した店舗(筆者撮影)

また建物だけでなく、道路の舗装や郵便ポスト等にも太宰府にまつわるデザインが施されており観光地としての魅力向上につながっているのではないでしょうか。


写真5:太宰府の神鳥「鷽(ウソ)」の石像を乗せたポスト(筆者撮影)

◆おわりに

今回のレポートでは太宰府天満宮門前町の歴史と街並みを守る現在の取り組みについてご紹介しました。太宰府は2017年には約1000万人もの観光客が訪れたほどの観光都市であり、新型コロナウイルスの流行で一度は客足が遠のいたものの、2022年現在の門前町は訪れる観光客の活気で再び賑わっています。新しい店舗の出店も進み今後の発展も見込まれますが、その業種を見ると生活品を扱う店舗から土産・民芸店への変化という「観光地化」が見られ、門前町が地元住民の生活に密着していた場所という意味合いを失っていくという指摘もあります(寄藤ら2015)。観光地化が地域住民の生活に影響を与えてしまうことは他の観光地でも起きている問題であり、太宰府が今後も持続的に発展していくためにはこの問題について取り組む必要があるのではないでしょうか。

◆参考文献

・太宰府天満宮ホームページ:太宰府天満宮とは
URL: https://www.dazaifutenmangu.or.jp/about (2022年10月17日閲覧)
・だざいふナビ:「さいふまいり」について
URL: https://dazaifu-navi.com/alecolle_detail.php?toku_id=12 (2022年10月17日閲覧)
・太宰府市:太宰府の景観まちづくり
URL: https://www.city.dazaifu.lg.jp/soshiki/20/1909.html (2022年10月17日閲覧)
・寄藤晶子, 天野香緒理, & 岡崎綾香. (2015). 大宰府天満宮の参道における商業空間の変化. 日本地理学会発表要旨集, 2015, 100351.

(文責:杉浦完征)