講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


2.日本型近代家族と住まいの変遷の4大特徴

 戦後「家庭」家族の住まいモデルは「リビングのある家」です。おなじ「家庭」家族の容器モデルでありながら、「茶の間のある家」と「リビングのある家」は個室のあるなしで区別されます。「リビングのある家」の原型というのはなんといっても公団住宅だと思います。日本住宅公団は戦後10年の1955年に発足していますが、それ以前に公刊されていた西山卯三や浜口ミホの戦後住宅理論をとりいれて2DK標準設計を創出し、これを普及させた。
 戦後復興院は敗戦直後の住宅不足を450万戸と計算するのに、西山卯三は500万戸という。 1住戸に1組の夫婦の原則をたてたからです。日本住宅公団が、住宅・都市整備公団に、さらには都市基盤整備公団に移り変わるところから、戦後史を見るといろいろ考えさせられます。公団住宅が一世帯一戸、つぎには一人一室という住まい環境の向上にはたした役割は大きい。設計集から住まいにたいする要求が量から質へ、さらには個人化へと変化する大きな物語を読みとることができる。2DK標準設計が3DKになり、3LDKが出現する1975年が、モデルに現実が追いつき、あるいは現実がモデルを超えようとする瞬間でした。
 家族用の3LDK設計はたちまち民間のマンションにも普及してゆく。そしてその翌年1976年にはワンルームマンションという住まいモデルの創出があります。ワンルームマンション第一号はメゾン・ド・早稲田といい、数年前に私がさがしあてたときにはまだ健在でした。私は「リビングのある家」から子供部屋が別の都市に浮遊したのが「ワンルーム」ではないかと思います。
 住まいモデルの新二重構造である「リビングのある家」/「ワンルーム」は、旧二重構造であった「いろり端のある家」/「茶の間のある家」と同じく、右側が賃貸住宅の原則です。住まいの中身である「家庭」家族/個人はやはり世帯としての境界があいまいです。リビングのある家とワンルームは仕送りと電話でつながっている。二重構造の右側が賃貸だということは、旧新の二重制度に共通する。旧二重制度の重心はしだいに右側へ移り、最終的に家庭家族の析出があった。新二重構造にも同じことが起こるのでしょうか。
 ワンルームに住む若者の多くは結婚して「家庭」家族を再編成し、「リビングのある家」を建てるようでもある。だがワンルーム滞在の年月は長引いている。他方で、「家庭」家族は「家」家族とはちがって「家庭」を継がない、一代限りが原則です。つまり「家庭」家族には最後の一人が必ず存在する。いわゆる独身貴族と孤老とをあわせると独居の世帯数は増えています。「ワンルーム」の設計も変化している。初代ワンルームの床面積は16.5平米です。現在の学生マンションの多くは20平米をこえています。デザイナーズマンションの建築家にきいたところによると、30平米から50平米のワンルームがあるそうです。分譲になるかもしれません。
 いずれにしろ、私はこの1975年が大きな分岐点だと思っています。くりかえす二重構造の図式からわかるのは、日本型近代家族のモデルチェンジのはげしさです。もともと私はこの図式自体を、動態を捕まえるための枠組みとしてつくりました。ワンルームの出現が、いわば近代の、ここで関西弁を使うなら"どんつき"なのではないか。そしてそこから次の問題が生まれる。近代の強い個人に家族外からのサポートはいらにかもしれないが、現代の弱い個人の居場所である孤立した部屋は、お互いにどう支え合うか、という問題です。


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