講演+インタビューシリーズ『ライフスタイルを見る視点』


7.まとめ


随分変わっていてビックリしました

国内初の大規模ニュータウン。「世界の国からコンニチワ」の大阪万博。プリン&キャッシーのテレビテレビが発信されたセルシー。千里ニュータウンほど日本の高度経済成長期を象徴できる場所はないと思います。関西出身なので贔屓目かもしれませんが、こんなふうに日本の絶好調期と並走した感じのする住宅地は、さすがの東京にもないでしょう。その意味では、かつての関西の勢いを体現した場所でもあります。そんな千里ニュータウンがまち開きから半世紀を経たとのこと。それは高度経済成長期が半世紀も前になってしまったことをも意味します。もっと日本中が注目して良いはずなのに、東京ではほとんど話題になっていないように思います。

鈴木毅さんやその仲間たちが頑張ってその歴史を展示したり、古くからの住民と新しい住民が出会う機会を用意したりしていることを知っていましたので、今回は色々と無理を言って、半世紀を経た千里ニュータウンを訪ねることにしました。

正直、駅周辺を中心に業務施設ばかりでなく集合住宅も、結構多くが建替えられ、まちが大きく変貌していることには驚きました。東京では、最近になって漸く多摩ニュータウンの第一号団地が建替えられたと、幾度となくテレビで取り上げられていましたが、ニュータウンの先輩、千里ではとっくに建て替えが進んでいたのですね。

ただ、建替えられた後の姿は、とても歴史上特別な位置にある千里ニュータウンのそれとは感じにくい、特段のいわれもない駅前の再開発とあまり変わらないものに思えました。つくり手も住み手も、交通の便だけを過大評価しているかのような風景に見えました。駅から離れると歴史の層を感じさせる場所が散見されましたが、日本の20世紀を象徴する一時代、高度経済成長期と並走したという、極端に言えば世界史上も特異なまちであることは、伝わってきにくい全体の表情だったと感じています。

もちろん建替えによって、若い世代が転入してくることで、放っておくと高齢化がただただ深刻化していく状況を防ぐことはできるでしょう。けれども、この地に特権的に与えられた歴史的な位置付けを、昔の写真と文書や図面の世界だけに閉じ込めておいて良いのでしょうか。長期にわたるまちの持続性ということを考えても、大変もったいないことだと思います。まちの歴史を大切だと思う人たちは増えてきているように聞きましたが、その人たちの感覚が今のまちづくりに反映される仕組みを具体的に組上げる必要があります。先ずは、経ってから何年も経つストックの、新築では考えにくい利用法が手掛かりになるのではないでしょうか。

(松村秀一)



太田さんは千里をくまなく歩かれて数々の町歩きルートを開発しておられる。

今回もレクチャー後,我々を千里の現況を概観しつつ,平屋のRC住宅が2階建てに増築されている地区や,松村さんが南米的だと評したブロック造住宅など、時代と歴史の積み重ねを感じさせる通好みのエリアを案内してくださった。

このようなモダンさと時の蓄積を感じさせてくれる,千里ニュータウンならではの特徴的で多様な住宅風景は,団地建て替えや再開発によって急激に失われ,立派だが普通のマンションが建設され続けている。

これは千里が「恵まれすぎた」ニュータウンだからではないかと思う。梅田・空港・新幹線からアクセスのよい立地、充実した緑や公共インフラ,北摂地区の良好な住宅地としてブランドイメージ‥‥。恵まれすぎているから,マンションは特に工夫なくても売れる。今や一般的な手法になりつつあるコンバージョンや一部保存の話など聞いたことがない。周囲に対する街路性やランドスケープ,住民以外への歩行ルートや新たな公共的機能を提供している建て替えはのは佐竹台の府営OPHなどごくわずかである。集合住宅建て替えにたいへんな苦労があるのは承知しているが,地域の環境更新の絶好の(今後当分ない)機会である建替えを生かさないのはなんとももったいない話である。

大阪市内から引っ越してきてあまりに街が寂しいので,団地建て替えの際に,ブックカフェを造ることを提案していたが,会議が重なるうちに,いつのまにか立ち消えになってしまったと嘆く女性の話を聞いたことがある。若い女性二人のカフェの会話から、わずか1年でファーマーズ・マーケットを実現させたグリーンベルトとはだいぶ違う。

しかし,住民・市民の中からは新たな動きがある。この10年余り,千里の住民たちはコミュニティカフェのパイオニアである「ひがしまち街角広場」はじめ,新しい地域の場を自ら作り上げ運営してきた。先日南千里の千里ニュータウン情報館の一周年企画展で実施したワークショップでは,これからの市民に欲しいものとして,豊かだが十分使いこなせていない緑を生かすアイデア,交流・働く・市場など複合的な機能をもった場など,いわゆる箱ものではない案が沢山集まった。これらが企画として育ち,将来,20世紀の日本を代表する計画住宅地である千里ニュータウンが,21世紀には新たな主(あるじ)達の構想力によってこのように成熟していったと言われることを期待したい。

※本コメントに関連しては拙稿「千里の再構築に向けて −誰が主となるのか」情報誌CEL(Vol.88)、大阪ガス・エネルギー・文化研究所、2009.3をご笑覧いただければ幸いです。以下からダウンロード可能です。

http://www.osakagas.co.jp/company/efforts/cel/search/1176237_1616.html

(鈴木毅)



成熟期をむかえているはずの千里ニュータウンだが,ここ数年,成長期に逆戻りした様な建設ラッシュに沸いている。特に集合住宅エリアの変容は激しく,天に届きそうな高層棟がずらりと並ぶ様になった。昔の面影を残すのは,一団地を囲む道路ぐらいだろうか。残念に感じるのは,団地を建て替えることに終始したのか,一団地全体のデザインにこだわった事例が少ないことである。PFI方式の難しさかも知れないが,千里ニュータウンというブランドを更に高めるためには超えなければいけない課題であろう。参考になる事例として,コミュニティを置き去りにせず,一団地のデザインにも成功したOPH佐竹台がある。住民の要望を取り入れながら建て替えがすすめられたというだけあって,住空間体験が心地よい。この様な方法をとることが容易でないことはわかるが,いろんな形で魅力的な事例が増えることを切に祈る。

さて話は変わるが,大阪に住む私にとって郊外住宅地を指す地域は,その昔に船場の商人が多く移り住んだ芦屋や帝塚山などのまちである。千里ニュータウンや泉北ニュータウンはそういった地域とは明らかに異なり,一般市民が住むために計画して作られた未来都市といった方が良いと思う(私が勝手に言っているだけであるが)。前回見たレッチワースなども郊外住宅地ではなく,千里ニュータウンのような未来都市でもなく,田園都市としかいいようがない。未来都市という言葉の背景には,SF的な新しい都市システムがあり,人々の夢や希望がいっぱい詰まった輝く未来を指し示しているということがある。一方で,かたちばかりの未来都市は,住民にそっぽ向かれると無機質で均質化することが多い。千里ニュータウンの魅力は,そうなっておらず,未来都市でありながら,何となく人間くさいところにあると私は思う。これは是非いつまでも守っていって欲しいと思う。

(西田徹)




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