随分変わっていてビックリしました
国内初の大規模ニュータウン。「世界の国からコンニチワ」の大阪万博。プリン&キャッシーのテレビテレビが発信されたセルシー。千里ニュータウンほど日本の高度経済成長期を象徴できる場所はないと思います。関西出身なので贔屓目かもしれませんが、こんなふうに日本の絶好調期と並走した感じのする住宅地は、さすがの東京にもないでしょう。その意味では、かつての関西の勢いを体現した場所でもあります。そんな千里ニュータウンがまち開きから半世紀を経たとのこと。それは高度経済成長期が半世紀も前になってしまったことをも意味します。もっと日本中が注目して良いはずなのに、東京ではほとんど話題になっていないように思います。
鈴木毅さんやその仲間たちが頑張ってその歴史を展示したり、古くからの住民と新しい住民が出会う機会を用意したりしていることを知っていましたので、今回は色々と無理を言って、半世紀を経た千里ニュータウンを訪ねることにしました。
正直、駅周辺を中心に業務施設ばかりでなく集合住宅も、結構多くが建替えられ、まちが大きく変貌していることには驚きました。東京では、最近になって漸く多摩ニュータウンの第一号団地が建替えられたと、幾度となくテレビで取り上げられていましたが、ニュータウンの先輩、千里ではとっくに建て替えが進んでいたのですね。
ただ、建替えられた後の姿は、とても歴史上特別な位置にある千里ニュータウンのそれとは感じにくい、特段のいわれもない駅前の再開発とあまり変わらないものに思えました。つくり手も住み手も、交通の便だけを過大評価しているかのような風景に見えました。駅から離れると歴史の層を感じさせる場所が散見されましたが、日本の20世紀を象徴する一時代、高度経済成長期と並走したという、極端に言えば世界史上も特異なまちであることは、伝わってきにくい全体の表情だったと感じています。
もちろん建替えによって、若い世代が転入してくることで、放っておくと高齢化がただただ深刻化していく状況を防ぐことはできるでしょう。けれども、この地に特権的に与えられた歴史的な位置付けを、昔の写真と文書や図面の世界だけに閉じ込めておいて良いのでしょうか。長期にわたるまちの持続性ということを考えても、大変もったいないことだと思います。まちの歴史を大切だと思う人たちは増えてきているように聞きましたが、その人たちの感覚が今のまちづくりに反映される仕組みを具体的に組上げる必要があります。先ずは、経ってから何年も経つストックの、新築では考えにくい利用法が手掛かりになるのではないでしょうか。
(松村秀一)
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