生活・ケアから住まいを考える

-介護付き有料老人ホーム、サービス付き高齢者向け住宅に期待すること-

 

 日本の施設は介護保険制度ができるまで基本的には低所得者対策でした。そこから有料老人ホームができました。あれは何かっていうと、職業婦人の老後のバランス、独身で学校の先生をやっていた人や、独身を貫いている人たちの行く場所になっていて、兄弟はおらず子供はいないわけです。その人たちはそれなりの収入があり資産があるとすれば、有料老人ホームに入るのが始まりになりました。それが次第に、利用傾向を考えて、高所得層の家族も対象になっていきます。昔は女中さんがいましたが、時代を経て家政婦さんに変わり、そういう人たちに世話をしてもらうというよりはむしろ住む場所を変えて、老人ホームを利用するようになりました。有料老人ホームはいわば厚生労働省の所管で、把握できるようになっていて、それがお届けの訪問ができたときに届出制という非常に効率的なものになりました。低所得者向けの社会福祉協議会が経営する特別養護老人ホームについては施設と世話を行政がしていましたが、有料老人ホームについては国もそうです。国も高齢者支援課の所管ですが、こども保険や市町村は富裕層向けなのであんまり関心がない。それが、介護保険という仕組みを入れて低施設という概念で有料老人ホームを介護保険の制度にのせました。これは大変な腕力と知恵が必要ですが、そのおかげで有料老人ホームのビジネスモデルがガラッと変わります。共通の介護ローンについては行く介護保険で見る、いわゆるリスク分散は社会保障制度でやるから、居住部分を自由に払ってもらうというのを作ってもらえばいいので、そうすると有料老人ホームができてきます。一方で賃貸住宅はどうなるかというのはこの問題です。病院が抱え込んでいる医療費、老人医療の負担金というのはいかに大きいのか、健康保険でいつもこんなに上納しなきゃいけないのかと揉めるのですが、それほど病院が太っているわけです。その代わり、民営なのでコロナのようなことをうまく対応できないのです。1970年のモデルを革新していくのかというのは企業もそうですよね。
 アメリカのゴフマンという社会福祉学者方が“アサイラム”という言葉を使って説明しているのですが、「我々の市民社会では基本的に平等だ」という平等原則社会があります。しかし、こういった施設では、ケアする側とケアされる側では裂け目があるとボフマンは書いていて、支配し管理する場、それは裏をかけば事故があってはいけないという世界で、特別養護老人ホームはこのような感じでした。要するに低所得者が入るからという、これを普遍的な仕組みにしたのは介護保険なのです。1980年代に三鷹にある東京老人ホームに個室をつくろうとして厚生省は猛反対しましたが、結局、押し切って個室にしました。ヨーロッパの施設は個室になっていますが、わがまま放題な人がいて、個室にしないと危ないというお話があります。
 ケアされる側はケアする側の言うことを聞かなければいけないという文化は今ではありません。最近のリタイアされた方はデイサービスを利用します。ケアの思想の中で、サービス付き高齢者向け住宅は基本的に賃貸借契約ですが、また外山義氏の考えでは、多床室の特養からこうした個室にした小規模型機能というものと、サテライトの居住施設をつくって、出身の地域に返すのです。平均要介護度は4.3ですから、そのとたんに今までの寝たきりだった方が、あっという間に車いすで自走するようになる例があります。昔は郊外ですから、車でしか来られない場所でした。毎日来られるようだったら泊まり込んでしまいます。要するに、普通の住まいにケア環境を付設するかという議論になって、重要なのは自己決定と損害的予算であり、要するにモチベーションなのです。生活環境がやはり4人部屋でいると、同室の人を意識しながら縮こまって生活している人がいるのですが、それでも4人部屋だとにぎやかでいいと言うような政治家がいました。
 外山義氏によると、生活機能を規定する諸要因の関係の例として、①同じ色のドアでは、入居者がわからなくなるのでバラエティのある入り口を作る、②ユニットケアにより個室であっても人を意識しながら生活する、③人間は人との関わりや交わりがあることによって自立することができるなどが挙げられます。