第3回の今回は、高福祉高負担の国として知られるデンマークの高齢者福祉と高齢者居住について研究をされている松岡洋子さんを招き、「デンマークの高齢者福祉と住まい」について講演をしていただいた。
福祉先進国と言われるデンマークの制度やシステムなどが、現在どうなっているのかを明らかにし、今後の日本の制度やシステムのあり方を探っていく。

■主 催
高齢社会研究会
■日 時
 

平成16年10月29日(金)

  18時00分〜20時30分
■会 場
 

住宅生産団体連合会 会議室

 

1.挨拶
園田眞理子(明治大学助教授)
2.第1部 講演「デンマークの高齢者福祉と住まい」
  講師 松岡洋子(松岡事務所代表)
3.第2部 座談会
  司会進行 園田眞理子(明治大学助教授)
  メンバー 高齢社会研究会
    住宅生産団体連合会会員企業メンバー
 
あ
   
 

 

◆ デンマークの高齢者福祉の現状
 

1.二世帯住宅を提案した時代
デンマークでは高齢者を「介護の対象」としてではなく「生きる主体」としてとらえており、高齢者福祉の基本理念は「自立支援」である。それを制度として支えているのは高福祉高負担、地方自治、公的セクターを中心とした「大きな政府」による普遍的な社会保障のありようである。小規模を目安とした福祉地区で、民間セクターやボランティア活動などによって介護が行き届いている。


高齢者福祉の基盤 自立:基本理念は「自立支援」と「自己決定」
⇒高齢者は「生きる主体」であり、「介護の対象」ではない。
         政策:高福祉高負担
             ⇒GDPの52%が税金、そのうち43%が社会保障へ
             (日本はGDPの28%が税金で、18%が社保へ)
            地方分権
             ⇒人口1〜2万人を目安とした福祉地区
            公的セクター中心
             ⇒公的セクター(コムーネ=市)がサービスを提供
             ⇒自由選択Frit valg の開始によって、民間企業も参入
             ⇒上記フォーマルケアのスキマを埋めるものとして
              インフォーマルケア(ボランティア活動)もさかん
             ⇒労働市場への参画は男女ともに80%前後。
              
配偶者間には扶養義務があるが子供には親の
               扶養義務はなく、同居率は4%足らず。
               世代間の介護はないが精神的には支えとなっている。

◆プライエム増設の時代から、腐敗へ
  1925年に高齢化社会(65歳以上の高齢者が全人口の7%を占める)を迎えたデンマーク。戦後の経済成長を背景に、1960年代にはプライエム(日本の特別養護老人ホームに相当)が増設されたが、その大規模化と集団処遇、与えるだけの過剰ケアのなかで高齢者は命の輝きをなくし、いつしかプライエムは「死への待合室」のようになってしまった。
 
◆ 1988年、プライエム(特養)の建設を凍結
  その頃の社会・経済状況は、高齢者増加、財政逼迫、施設ケアは高くつく、という三方ふさがりであった。世にいう「福祉国家の危機」を乗り越えるべく、デンマークでは1979年「高齢者政策委員会」が結成された。1980年代初頭に報告書が出され(有名な高齢者三原則もその中に含まれていた)、この報告書を基盤に、1988年以降プライエムの新規建設は禁止された。
◆ 施設「プライエム」から、高齢者住宅へ
  プライエムの建設凍結後、その代替として建設されたのは「高齢者および障害者住宅法」に基づく高齢者住宅である。よい住宅を供給して、住む人のニーズに合わせて「在宅ケア」としてサービスを届けて、最期まで地域で住み続けることを目指す政策が実践に移されたわけである。1987年より近年にいたるまでの高齢者居住の変化を見ると、旧型のプライエムは減り高齢者住宅が増加して、この15年間でその数が逆転している。
◆ 住宅のみで、はたして地域居住継続は可能か?!
  しかし、本当に高齢者住宅のみで「住み慣れた地域で最期まで住み続ける」という地域居住継続が可能なのだろうか?
松岡はデンマークの知見より、「『在宅で最期まで』の七つ道具」を取り上げる。なかでも、高齢者住宅の近くには「交流と役割づくり」の場であるアクティビティハウスの存在が重要であり、24時間ケアの整備や地域リハビリは必須であり、これによって初めて、『在宅で最期まで』戦略が可能となるのである。
◆ プライエボーリ(介護型住宅)の登場
  一方、どうしても自宅での生活が困難な人のために、より自宅に近い環境でしかも介護が受けやすい環境にある住まいとして「プライエボーリ(介護型住宅)」が登場した。これは、高齢者住宅という制度の枠組みのなかで「より安心な住い」をつくろうとしたものであって、決して「施設」ではない。住人は高齢者住宅に家賃を払って住むテナントであり、個別のアセスメントを受けて個別ケアを受けることとなる。これは、在宅での暮らしとなんら変わりがない。
◆日本とデンマークにおける高齢者施設と、高齢者住宅の供給量比較
  イギリスをはじめとする高福祉国家においては、高齢者居住整備(施設も住宅も含めて)の目安として、10%以上(65歳以上高齢者人口に対する割合)を目標においている。例えば、イギリスの保護住宅sheltered housing の整備率は10-15%が目安とされた。
こうした世界標準を念頭においてデンマークと日本を比較すると、デンマークでは住宅整備率は6.1%であり、施設にいたってはそれよりも低い5.2%となっている。
一方日本においては、施設3.8%、住宅0.5%という淋しい状況であり、高齢者居住全体としての整備の遅れとともに、とくに住宅についてのあまりにも貧弱な状況を重要な問題点として指摘することができる。
そもそも「介護保険」が目指すのは、高齢者の自立支援と在宅生活継続である。2001年6月『2015年の高齢者介護』(高齢者介護研究会報告書)が発表され、現在介護保険5年目の見直しのなかで、地域包括支援センターや地域密着型サービスの構想が打ち出されている。これらは主にケアよりの話しである。しかしながら、高齢者居住と在宅ケアは地域での普通の生活を継続していくための重要な構成要素である。タテワリ行政の名のもとに分断されるのではなく、高齢者自身の生活の目線に立ったダイナミックな政策立案と制度設計が求められるのではないだろうか。
 
 

 第1部の講演に基づき、デンマークの高齢者福祉の制度、運営主体、ケア費用、また日本との比較などについての質疑が行われた。

  1.デンマークではさまざまな人がヘルパーをしているようであるが、ヘルパーになるための制度は?
    正式な資格はSSH(社会福祉・保健ヘルパー)である。高校卒業後、一年二カ月の教育を受けて資格をとることができる。しかしデンマークでは教育課程において実習を重視するため、研修中のヘルパーも現場で活躍している。また、都会部ではヘルパーのなり手が
少なく、とくに夜間巡回ではコムーネ(市)が民間企業の派遣ヘルパーをスタッフとして組み入れていることも多く、男性ヘルパーも多い。SSHは追加教育を受けることでSSA(社会福祉・保健ヘルパー)になることができ、より責任のある仕事につくことができる。
   
 
  2.ヘルパーの派遣サービスの必要量など、システムにおける日本との差は?
    サービスの量は現場に近い人、介護士や看護士が判定する。他にもケアの基本単位の考え方においても日本とは大きく異なる。
 
  3.デンマークでのケア費用はどれくらいかかるのか?
    1989年より、ケア費用は完全無料である。家賃は払わなければならないが、収入が少ない場合は家賃支払いが全収入の15%になるように家賃補助が出る。
 
 
  4.デンマークの、高齢者福祉に携わる運営主体というのは、日本のようにたくさんあるのか?
 

  デンマークでは医療は国が、福祉は市が担当している。日本のような縦割り社会ではなくて、横でうまく連携している。

   
 
  5.デンマークでは持ち家と賃貸の割合はどれくらいなのか?
    持ち家の割合が53%。高齢期になると持ち家を売って、高齢者住宅に移り住む。また、持ち家をリフォームして在宅ケアで暮らし続けるケースもある。
   
 
  6.日本の都市部では、高齢者向けサービス事業者が増えている。質の良いサービスを確保するには、今後日本はどうすればいいのか?
    地域での在宅24時間ケアの展開については、地域独占のような形で事業展開しなければ事業のとしての採算はとれないだろう。そのためにも、利用者がサービスの質を見る目を養い、業者を選択できるまでに成長する必要があるのではないか?
 
  7.デンマークのようなシステムを日本において築くためには?
    デンマークには150年以上にわたる民主主義の歴史があり、戦後福祉国家を建設していく上で国民がその福祉システムの構築に主体的に関わってきたといえる。そして、福祉の現場では多くの女性が、サービスの担い手として活躍してきた。
日本では、介護保険の中心課題には「自立支援」が掲げられている。しかし、高齢者は「本当に自立したいとのぞんでいるのか?」といった疑問からはじめる必要があるのでは?まずは男性が家事をして、普段の生活の中で地域にネットワークをはるといったことが重要だろう。福祉は残余的なものでしかない。これからの日本の高齢者は生きる意欲というものを持ち続けなければならないだろう。