まず「街路の狭さ」については、二島とも街路幅員が普通車のすれ違いが難しいと感じるほどであった。街路幅員がこの広さに設定された理由の一つに、二島は元々本島からの車でのアクセスはできなかったため、車使用に適さない幅員で街路整備が行われたことではないかと考えられる。また、街路幅員が過去と変わっていない現状に至った一因は、車道に沿うように設置されているブロック塀だろうと考えられる。現在東京では震災被害の拡大を防ぐためにブロック塀の除去や生け垣化等が進んでいるが、沖縄では地震は少なく、むしろ台風対策のために、沿道のブロック塀は今も過去と変わらず必要なのである。ただ、このブロック塀は容易に街路幅員拡大ができない一因になっていると思われる。
写真4:浜比嘉島浜地区の街路
次に「道の見通し」について、伊計島の街路は見通し悪く、浜比嘉島の街路は見通しが良いと感じた。これはおそらく街が傾斜地にあるかどうかが関係しているだろう。つまり、伊計島の見通しの悪い街路は、街が傾斜地にあることが関係していそうだ。そもそも伊計島の傾斜地に街ができた理由の一つは、伊計島と隣の宮城島に囲まれた湾に近いため、また、本島のうるま市中心地と一番近い場所だからだと思われ、橋ができる前の名残でありそうだ。うるま市中心地と近いところに街ができる特徴は浜比嘉島だけでなく、平安座島にも表れていた。
上記二つの要因分析は当然不十分であると思うため、ご指摘があれば訂正していただきたい。
◆おわりに
伊計島と浜比嘉島は車で行くことのできるため、比較的容易に離島の生活を実感できる島であり、そこには、本島では味わえない、身近な自然とゆっくりと流れる時間を堪能できる空間があると感じた。
今、交通利便性が向上したことにより、島の都市構造が大きく変わっているタイミングであると思われる。例えば伊計島では、沖縄本島から一番遠いところで海の眺望がよい場所にホテルが進出している等、離島の自然を生かした観光産業が離島に進出してきている。今後意識しないといけないのは、急激な開発は近視眼的な目標をもとに行われがちであり、持続的な開発になりにくいことだ。この地域独自の離島という強みを活かした、漸進的な開発を行ってほしいと思った。
<参考文献>
上江洲敏夫「伊計島小史」(1987)沖縄県立博物館総合調査報告書Y-伊計島- p.9-20 , 沖縄県立博物館(那覇)
當真嗣一「浜比嘉島小史」(1990)沖縄県立博物館総合調査報告書Z-浜比嘉島- p.1-18 , 沖縄県立博物館(那覇)
(文責:増田広樹)