高岡市山町筋・金屋町 商人の町と職人の町が見せる景観の対比

◆はじめに
 高岡市は富山県西部に位置し、県内で富山市に次ぐ人口16万人を有する。市域の北部は富山湾に面し、雨晴海岸が有名である。西部は丘陵地帯で石川県に接する。
 奈良時代には小矢部川河口部の伏木に国府が置かれ、以来越中の政治経済の中心地として栄えた[1][2]。江戸時代になると、加賀前田家2代当主・前田利長が築いた高岡城の城下町として、現在の高岡の町が形成された。「高岡」の地名も、利長が「詩経」の一節「鳳凰鳴けり彼の高き岡に」から引用して命名した瑞祥地名と言われている。
 高岡市内には3つの重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)がある。今回紹介するのは、このうち市中心部にほど近い山町筋と金屋町である。二つの町並みはわずか500mほどしか離れていない。どちらも城下町の一部であるが、町の性格はかなり異なる。
 旧北陸道のそばに位置する山町は、高岡開町時に計画的に町割をして造られた商人の町である。第3代藩主前田利常は、高岡城廃城後の町の活気を維持するため、町人の転出を禁じて高岡を城下町から商工業の町へと転換することを促した[2]。以来、高岡は米や綿などの農産物の集散地として発展し、山町はその中心地として栄えてきた。
 一方、千保川の対岸に位置する金屋町は、1611(慶長16)年に利長が郊外の西部金屋という地域から鋳物師を招いて造られた鋳物の町である。当初は鉄鋳物の生産が中心であったが、18世紀後半には銅器の生産も始まり、高岡銅器が広く知られるようになった[3]。銅器産業は第二次世界大戦の際には危機にもなったが、戦後復興し、銅に加えアルミニウムを使った生活用品の製造も行われるようになった。現在は明治中期以降に建てられた町家が歴史的な町並みを形成している。

◆山町筋:防火壁のある土蔵の町並み
 山町の町並みは、1900(明治33)年に市域の約6割を焼失した大火の後に建てられた土蔵造りの町並みである[2]。大火の前年に、富山県の「建物制限規則」で繁華街に建物を新築する際には防火構造とすることが義務づけられていたため、土蔵造りの建物が建ち並ぶ町並みが形成されたようだ。
 山町筋の景観の大きな特徴として、建物両端に設けられた煉瓦造の防火壁が通り沿いに連続している点が挙げられる(写真1)。洋風の意匠をもつ防火壁は、黒漆喰の重厚な和風建築に対して鮮やかな対比を生み、景観のアクセントになっている。これらの防火壁は、必ずしも壁面全体に設けられているわけではないため、延焼防止のためというよりは装飾になっている場合も多く[2]、そもそも防火建築である蔵造り建物には不要であるとも言われる[4]。
 しかし、たとえ物理的な延焼防止効果が限定的であったとしても、通りを歩いていると防火壁は否応なく目に入るもので(写真2)、大火の教訓と「二度と町を燃やさない」という意志が、意匠として可視化されている。「火の用心」を訴えるモニュメントが景観に埋め込まれていることが、人々の防災への意識を高める役割を果たしているようにも思われる。これは現代の建築や都市計画においても、防災設備をデザインの要素として可視化し、日常の風景に溶け込ませながら住民の防災意識を高めるといったアプローチへのヒントになるのではないだろうか。
 町並みを構成する建物本体に目を向けると、まず屋根の勾配が揃っていることに気づく(写真1)。加えて、壁面の位置も概ね揃っているようである。このような形態の共通点が町並みに統一感をもたらしている。
 一方で、意匠や色彩には各商家の個性が見られる。壁面は黒漆喰の他白漆喰や銅板張り(写真5)、土壁のものなどがあり、どれも落ち着いた色でありながら豊かな色彩が生み出されている。また最上部の箱棟にも、家によって様々な意匠が施されている(写真3、4)。先に述べた防火壁は、こうした各家の個性や独立性を際立たせる仕切りのような役割も果たしているように見える。
 山町筋を対象に町並み景観の評価を行った三島他(1997)[5]では、1, 2階の屋根がともに見え、壁面が漆喰塗りであるものを、古くからの土蔵造りの面影を残すとして評価している。屋根が見えることは、土蔵造り建物そのものの特徴というよりは、道幅の条件も含む町並みの特徴だが、屋根の上までも意匠が凝らされていることからもわかるように、確かに山町筋の特徴といえるだろう。

写真1 山町筋の町並み



写真2 存在感を放つ防火壁



写真3 箱棟に意匠のある立派な商家(菅野家住宅、重要文化財)



写真4 箱棟に意匠のある立派な商家(筏井家住宅)



写真5 銅板張りの商家(塩崎家住宅) 左側は道路拡幅と隅切りのため切り取られている

◆金屋町:千本格子が連なる職人町
 土蔵造りが連続する山町筋とは異なり、金屋町の町並みは、木材の柱が見える真壁の町家で構成されている。町並みの基調となっているのは、1階部に取り付けられた千本格子(サマノコと呼ばれる)である。千本格子は路面の石畳と相まって、町並みに繊細でヒューマンスケールな印象をもたらしている(写真6、7)。
 他に、建物や通りのどのような特徴が、山町筋との雰囲気の違いを生んでいるのだろうか。まず大きく異なるのは道幅である。道幅と沿道建物の高さの比(D/H)に着目すると、建物の高さは2階階高の低い金屋町の方が少し低いと思われるが、道幅は山町筋の約10mに対し金屋町は約5mである(写真8)。D/Hは1~2程度では「心地よい囲繞感」が、1を下回ると「親密な居心地の良さ」が感じられるとされており[6]、山町筋は前者に、金屋町は後者に当てはまると考えられる。
 もう一つの特徴として、金屋町では2階の庇が大きく前にせり出しており、1階(下屋)よりも出ているものが多い(写真8)。また、2階部に取り付けられた袖壁の端も道路側に傾いており、建物が通りに覆い被さるような印象を受ける。こうした建物の形態の特徴が、D/Hの違い以上に、親密な印象を強調している。
 以上のような町並み景観の特徴は、町の成り立ちとも関連しているように思われる。金屋町は拝領地を与えられた鋳物師たちから始まった町であるから、同じ産業を担う職人としての共同体意識や連帯感が、この町並みの親密さとして空間に立ち現れているのかもしれない。

写真6 千本格子が連なる金屋町の町並み



写真7 真壁造の町家と石畳



写真8 金屋町の町並み



写真9 2階の庇がせり出した商家

◆おわりに
 筆者が高岡を訪れたのは2回目だったが、今回初めて山町筋と金屋町を探訪し、商工業の町として発展してきた高岡の多様な顔を見ることができた。次回は、もう一つの重伝建である吉久や、「高岡市歴史まちづくり計画」[7]に歴史的町並みとして記載されている伏木や福岡にも訪れてみたい。
 なお実際に歩いてみると、二つの町並みの歩きやすさにも違いが感じられた。金屋町は落ち着いた雰囲気で歩きやすかったのに対し、山町筋は平日の夕方であったためか人影はまばらだったが、車通りは極めて多く、町並みの写真を撮るのには少し苦労を伴った。観光客に落ち着いて町並みを楽しんでもらうためには、抜け道として利用している車を並行する国道に誘導することも考えられる。また、高岡市都市計画マスタープラン[8]で述べられているように、市民や観光客が安全で快適に歩ける環境づくりや、二つの町並みおよび高岡古城公園や瑞龍寺といった周辺の歴史・文化資源と合わせた回遊性の向上も今後の課題となりそうだ。

(文責・写真:大草裕樹)

参考資料
[1]高岡市:高岡市の概要  https://www.city.takaoka.toyama.jp/soshiki/kohohasshinka/2/8/2740.html#h_idx_iw_flex_1_4
[2]高岡市教育委員会:高岡市山町筋伝統的建造物群保存地区保存活用計画
[3]高岡市教育委員会:高岡市金屋町伝統的建造物群保存地区保存活用計画
[4]川越市立博物館「ザ・蔵造り ここがチェックポイントだ!」 https://www.city.kawagoe.saitama.jp/museum/kura/1013742.html
[5]三島融, 後藤春彦, 笠原卓, 鞍打大輔, 小林幸司, 佐久間康富, 原田啓, 松井隆直(1997), 「伝統的建造物の景観評価における町並みユニットの提案とその応用 : 富山県高岡市山町筋におけるケーススタディー」, 日本建築学会技術報告集3 (5), pp. 232-235
[6]国土交通省道路のデザインに関する検討委員会(2017):道路のデザイン -道路デザイン指針(案)とその解説- https://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/road_design/pdf03/03.pdf
[7]高岡市(2024):高岡市歴史的風致維持向上計画 ~高岡市歴史まちづくり計画~ (第2期)
[8]高岡市(2018):高岡市都市計画マスタープラン