大崎上島・木江 遊郭としての歴史を残すまち

大崎上島は、瀬戸内海にある芸予諸島に属しており、広島県の島では3番目の面積を有しています。本州やほかの島とは架橋されておらず、本州からは、広島県の竹原などからフェリーを利用して渡ることができます。大崎上島の人口は年々減少の一途をたどり、1970年には17,000人以上でしたが、現在では8,400人ほどとなっています。大崎上島には複数の港や集落がありますが、現在では島中央部の大西港周辺が中心となっています。
しかし、以前の中心は、島の中央東部に位置する木江集落でした。木江は、その昔大坂などと並ぶ重要な港でした。木江は、江戸時代より汐待ち、風待ちの港として栄えた歴史を有しており、当時の跡を色濃く残す遊郭建築がひっそりと残されています。今回は、この木江集落を中心にリポートします。

 

◆島民の日常に溶け込んだまちなみ

木江の古い町並みが残るのは、今治方面へのフェリーが発着する木江(天満)港の近くです。海岸沿いの道から一本山側の、細い路地道に沿って展開しています。路地道の両側には木造3階・2階建ての建物が建ち並んでいます。大崎上島周辺に位置する、竹原や御手洗といった観光向けに小奇麗に整備された街並みとは違い、手を加えてないまちなみとなっています。通りに面して食料品店が数軒立地しており、商店の店先では、談笑する住民の方の姿が見られます。

 

写真1:手を加えていないまちなみ


◆遊郭としての歴史

18世紀前半から、木江沖を通る航路の船が増加しました。木江港で潮待ち・風待ちをする船が多くなり、それに伴って、造船所、船具店、船宿などができ、港町として発展してきました。
そのため、木江には、港町時代の旅館街、遊郭として栄えた名残が残されています。木江には木造3階建ての民家が10軒ほど残っていますが、全国的にも、遊郭跡がこれだけ色濃く残っているのは珍しいと言われています。遊郭建築の例として,2階・3階の通りに面したところに特徴的な手摺が付けられています。木江では、売春防止法施行以前の昭和30年代まで、おちょろ船の伝統があり、遊女を乗せた船が停泊している船へ向かっていたといいます。


写真2:遊郭建築



写真3:狭い通りに3階建ての建築が並ぶ


木江では、時代の流れが止まっている感覚を受けます。かつて営業していた喫茶店の看板が残っていたり、1970年当時の大阪万博のステッカーが貼られていたりして、往時の賑わいをしのばせます。 写真4:かつての喫茶店


写真5:民家の窓に貼られた大阪万博のステッカー


◆特徴的な建築

特徴的な建築として、木江には、木造5階建ての家が残されています。1917年築とされ、もともとは料亭でした。正面から見ると4階建てに見えますが、よく見ると小さい最上階部分があります。これは、もともとは4階建てで建てていたところ、強風で倒壊してしまい、縁起が悪いという理由で5階建てに変更されたと言われています。当時木江で盛んであった船大工の技術力の高さを示すものです。


写真6:5階建ての木造建築


◆失われつつある風景

長らく木江のシンボルであり、海上からも望むことのできた徳森旅館は、保存を望む声もありましたが、2013年に解体されました。旅館として廃業された後、空き家として放置されていましたが、所有者の方が解体を決断されたようです。木江の古い町並みも、同様の空き家問題に直面しており、いずれ町並みが失われてしまう可能性もあります。

写真7:海に面して建っていた徳森旅館跡地(画面中央の空き地に、かつては旅館が建っていました)



写真8:深刻化する空き家問題


◆大崎上島のスポット

最後に、大崎上島のその他のスポットをご紹介します。木江ふれあい郷土資料館では、木江や大崎上島の歴史を学ぶことができます。当資料館は、平成26年1月にリニューアルオープンし、島のルーツ、大正から昭和にかけての賑わい、現代の大崎上島がパネルで紹介されています。
また、島南東部に位置する神峰山(かんのみねやま、453m)からの眺望は、天気の良い日には115の島々が一望できます。山頂までの遊歩道沿いには、お地蔵さまが点在し、頂上には、石鎚神社・薬師堂が祀られ、信仰の山としても親しまれています。



写真9:神峰山からの眺望


◆おわりに

今回のレポートでは、大崎上島の木江集落を中心に、その形成過程の概略をたどりつつ、その魅力を紹介しました。木江は観光地化されておらず、ひっそりと古い町並みが残っており、歩いている人の数はまばらです。高齢化が進んでおり、空き家問題も深刻化しています。まちなみを形成している遊郭建築も、空き家として放置されるケースが多くなっています。木江では、伝統的建造物群保存地区などにみられるような保存策は特にとられていないため、消滅しつつあるまちなみであると言えます。これは、その他の離島、過疎地域に残されているまちなみに共通する問題であり、対応を模索していかなければなりません。ぜひ早いうちに一度訪れて、肌でその良さを感じてほしいと思います。


(文責:鈴木雅智)