青森県 黒石温泉 〜小見世(こみせ)のあるまちなみ〜

今回は、青森県の黒石市の中心市街地、中町地区における「こみせ(小見世)通り」を紹介します。黒石市は、青森市に隣接する市であり、黒石温泉郷を有する温泉の街としても有名です。このこみせ通りは、日本の道百選の一つであり、さらに重要伝統的建築物群にも指定されています。


◆こみせとは? その特徴と歴史的展開

この通りの名前の由来である、「こみせ」とは、日本の藩政時代から残されてきたアーケード上の通路を形成するひさしの事です。道路側面に一間おきに並ぶ木の柱の上に、板張りのひさし状の屋根が載った通路空間は、夏の日差しや冬の積雪などから地域の人々を守ってきました。(写真1)


写真1:こみせによる通路空間


このこみせの始まりは、黒石初代藩主の津軽信英が周辺の町割りを行った際に奨励して作らせたものであると言われています。明治時代には地租改正により完全に私有財産となりましたが、現在も公共的な使われ方を維持されています。 黒石のこみせは建築物の一回の高さに合わせてひさしが付けられた「落とし式」であります。写真2の様に、庭への入口に入母屋屋根を設けたり、ひさしを支える木の柱から看板を出したりと、それぞれに個性を発揮しながらも、全体として統一感のある街並みが形成されています。


写真2:入母屋屋根


江戸時代に形成・確立されたこみせ通りは最も長い時には4.8kmも続いていましたが、火災による焼失、道路拡幅のための撤去、など種々の理由により、現在はこの中町地区を中心に残るばかりとなったそうです。この地区においてこみせが維持されてきた理由として、酒屋や米屋、呉服店など、現代的な作りに建築を改める必要のなかった業種の商店が立ち並んでいた事が有力視されています。

この様に地域の人々の生活を古くから支えてきたこみせは、昭和50年に伝統的建造物群保存地区の指定が可能になった当初は、まだその指定を受けていませんでした。その後、昭和58年の「こみせ保存を考える会」、昭和60年の「こみせ通り商店街振興組合」の発足と活動の開始から始まり、平成12年に「こみせを核にしたまちづくり」を掲げたTMO(まちづくり会社)「津軽こみせ株式会社」が発足されました。これらの地域の人々が一眼になって、こみせ通りを保存しようと商業活動や景観維持に努めた事で、平成17年、ついに中町こみせ通りは伝統的建造物群保存地区に指定される事となりました。さらに、より歴史的価値のあるとされる「重要伝統的建造物群保存地区」の指定や、「手作り郷土賞大賞(国土交通省)」、「都市景観大賞・美しいまちなみ優秀賞((財)都市づくりパブリックデザインセンター)」を受賞、続く平成18年には、「美しい日本の歴史的風土100選((財)古都保存財団)」に選定されるなど、こみせ通りの持つ歴史的重要性・価値が次々と認めら初めてきています。


◆こみせ通りを歩く 〜歴史的な商屋住宅と横町かぐじ広場〜

こみせ通りに連なる家屋そのものもまた、こみせと同様に歴史的な価値のあるものです。例えば、西谷家住宅、盛家住宅、高橋家住宅は古くからの商屋住宅で、伝統的建造物とされています。中でも、高橋家住宅(写真3)は、国の重要文化財です。この高橋家は、黒石藩御用達の豪商で屋号「米屋」の通り主に米を扱うと共に味噌、醤油、塩などの製造販売を行っていたそうです。



写真3:高橋家住宅


高橋家住宅は現在でも中に入る事が出来、入口から土間がひろがっており(写真4)土間の一角では、喫茶スペースが営まれています。また、土間とつながる座敷の奥には、風流な庭が広がっています。(土間には上がる事が出来ません)


写真4:入口から続く土間

写真5:土間の奥に見える庭


この様な土間・座敷作りの伝統的家屋に大きく風流なしつらいの庭を持つのは、中町こみせ通りに現存している古くからの豪商の家屋に共通するものである様で、この時に立ち寄った鳴海家住宅においても、同様の建築空間を見る事が出来ました。 これら歴史的商屋住宅の中では、黒石名物のつゆ焼きそばを食べる事が出来たり、地域の地酒が販売されたりしています。特に、地酒は建築内外ともに町並みを形成する要素です。建築内部では、写真6の様に、土間スペースで酒が売られており、地域における大事な景色になっているとともに、建築外部では、その年に新しい地酒ができたときには、杉でできた酒玉(写真7)を軒につるす風習が残ります。


写真6:土間空間での店舗展開


写真7:軒下の酒玉(写真左上)

また、こみせ通りには、横道に入る楽しさというものもありました。 その代表的な例が、駅から歩いて高橋家住宅の少し手前を横に入ったところにある、横町かぐじ広場です。この広場は、商店街の裏地(かぐじ)を利用して作られ、こみせ通りを形成する家屋群に囲まれるような形で存在しています。 こみせを横に抜けて広場に行く間には、写真8のような、こみせに看板の連なった細道が続いており、こみせ通りのこみせと一つなぎになって、広場の中までこみせを模した軒が続いています。(写真9)


写真8:店舗の看板がつらなる横道

写真9:広場の様子


広場の一角には、「恋よされモニュメント」というものが設置されています(写真10)これは、日本3大流し踊りの一つである、「黒石よされ」をかたどったものであるそうです。恋よされとは、盆踊りの時の男女の恋の掛け合い唄の事であるそうで、この様に、地域に古くから伝わる文化を大事にしている事もうかがえました。


写真10:恋よされモニュメント


◆おわりに

今回は、青森県黒石市のこみせ通りについて、その成り立ちや変遷、そして、こみせ通りを代表する商屋住宅、かぐじ広場について紹介してきました。近年の日本では、車社会の進展に伴う郊外の大型SCの新設、中心市街地の衰退に伴って、古くから存在していた商店街がシャッター通り化してしまい、地域の歴史的な景観や賑わいが失われてしまう例が散見されてしまっています。

このような中で、黒石市でこみせのある街並みを維持し続けられたのは、「自分たちの街の誇りを守りたい」との想いを基礎にした住民組織やTMOによる景観保全、さらには外からの来客者を呼び込む事で、地域経営を維持する努力を続けてきた結果にあると思います。「こみせと町をつなぐデザイン」シンポジウムによる街のデザイン計画の検討や、かつての社交場であった、「松の湯」再生計画など、こみせ通りはこれまで受け継がれてきた良さを維持しつつも、行政・民間・地域の人々が手を取りあってさらに魅力的な街になろうとしています。青森に旅行などで訪れる機会がありましたら、是非足を運んでみてはいかがでしょうか。

参考文献
こみせと町をつなぐデザイン

松の湯の再生

(文責:関口達也)