写真1 穴太衆積みの石垣
◆坂本の街路構造
坂本の街路構造について、山崎(1996)[4]は、近世の絵図に描かれた道路網の分析から、それが直交座標系として把握されていたことを明らかにしている。すなわち、南北に走る等高線と平行・直交する二方向の秩序によって、実際より単純化された格子状空間として理解されていたという。
湖西線比叡山坂本駅を出たところに設置されている案内図(写真2)を見ると、この認知は概ね現在も変わっていないようだ。実測地図(図1)と比較すると、実際よりも格子状に近づけて描かれていることが見て取れる。
この格子を成り立たせる骨格となっているのは、東西にまっすぐに伸びる3本の馬場であろう。日吉大社や日吉東照宮の参道にあたる日吉の馬場、権現の馬場からは琵琶湖を望むことができ、湖岸と山系とを視覚的に結ぶ軸線となっている。日吉の馬場は、日吉大社だけでなく延暦寺への登山道に続いていることもあり、坂本の中でもひときわ広く、シンボリックに作られている通りである(写真3)。通りは現在車路となっている中央の道と、植栽で隔てられた両端の歩道からなり、水路も設けられている(写真4)。さらに両側の道沿いには石垣が続き、単に道幅の広い参道である以上に、直線軸が強調されている。一方権現の馬場(写真5)は、日吉の馬場よりも勾配が急で、下方への視界が開けている。石垣と生垣によって道沿いの中景が切り取られ、遠景をなす琵琶湖方面へと視線が誘導される。
馬場と交わる南北の通りも直線的に作られているが、勾配のある東西の通りとは対照的に、平坦に作られている通りもある(写真6)。こうした通りの方向性による明瞭な性格の違いもまた、格子の認知に寄与していると考えられる。
写真2 比叡山坂本駅前に設置されている案内図
図1 坂本周辺の地形図(出典:地理院地図)
写真3 日吉の馬場より比叡山系を望む
写真4 日吉の馬場北側の歩道
写真5 権現の馬場より琵琶湖を望む
写真6 横小路(日吉の馬場から北側に入った通り)
◆石垣が織りなす町並み景観
次に、景観の基調となっている石垣について見ていく。石垣と街路の関係性は、通りや区画によって様々である。坂道沿いでは、街路に対して一定の高さを保っている部分と、敷地の高低差に合わせて段差を設けている部分がある。外側から見ただけでは分かりにくいが、画地と街路、画地間の高低差で土留めを行うだけでなく、石塀にしている部分も多いようだ。石積みの上に生け垣があるので画地との間に高低差があるのかと錯覚するが、向こう側も同じ高さなので不思議な感じを催す(写真7)。両脇を石垣に挟まれた里坊の山門は、さながら城門のような構えである(写真8)。斜面地の土留めという機能的な要請に応えるだけでなく、構造上は必須ではない箇所にも石垣が積極的に用いられているのは、石積みに長けた人々がいた坂本ならではの空間的特徴といえる。
中でも、御殿馬場を登り切ったところにある滋賀院門跡の石垣はとりわけ高い(写真9)。滋賀院門跡は天台宗の最高位職である天台座主(ざす)の居所であり、石垣の高さも格式の高さを示している。
他の箇所では石垣の高さも様々であり、防御を目的とする城郭の石垣とはちがって、それほど高くない所もある。石垣の上には白い漆喰塗の土塀、板塀、生垣などがあり多様である(写真10)。さらにその上には庭園の樹木が道に溢れ出しているところもある。このような重層的な結界により、必ずしも視界が全て遮られているわけではないが、内部を容易には窺わせない、内向的な町並みが形成されている。
写真7 石積みで造られた塀(叡山文庫)
写真8 両脇を石垣に挟まれた里坊の山門(寿量院)
写真9 滋賀院門跡の石垣
写真10 多様な石垣(御殿馬場)
◆作り道の町並み
先述の直線的で格子状の街路構造に対し、「作り道」と呼ばれる通りは等高線に沿って緩やかにカーブしている。この通りは伝建地区の範囲外だが、江戸時代は参詣路として賑わった通りで[5]、現在も見事な町並みが残されている(写真11)。間口5~6間もある町家が軒を連ね、里坊の景観とは対照的である。平入の店舗の間には妻入りの蔵や入母屋の建物(写真12)も見られ、ゆとりとリズム感のある町並みとなっている。
作り道から御殿馬場に入ったところには門が設けられており(写真13)、参詣路の世俗的・商業空間と里坊群の静謐な空間との境界を象徴的に示している。このような空間演出を見ることができるのも坂本の面白さの一つである。
写真11 作り道の町並み
写真12 入母屋の建物が混ざる作り道の町並み