神楽坂 〜新旧が混在する街〜

◆はじめに

神楽坂は、東京六花街の一つにも数えられ、今なお東京神楽坂組合という花柳界が現存していることに加え、入り組んだ路地空間や黒塀・格子戸などの花街建築の意匠が継承されているため、東京都心でありながら歴史的文化・景観を楽しめることで人気の街である。写真1に見える神楽坂通り沿いは中高層の商業ビルが建ち並んでいる一方で、少し横道に入ると路地が続いており、階段状の石畳が続く趣深い兵庫横丁(写真2)や、黒塀が連なるかくれんぼ横丁といった風情ある景観を楽しむことが出来る。また、図1にあるように神楽坂は武蔵野台地の端部に位置しており起伏に富む地形であるため、路地が平面的ではなく立体的に入り組み、先を見通すことが出来ないということも、神楽坂特有の神秘的な雰囲気を形作っている要因であると考えられる。
しかし一方で、図2に示されたように神楽坂周辺は鉄道5路線が乗り入れている交通の要衝であり、地域の大部分が容積率の大きい商業地域でもあることから、開発圧力の高い地域であるため、商業地域としての継続的な発展を意識しつつ、花街の歴史文化・景観をどのように継承していくかを考慮し、動態的な都市保全に取り組んでいるのが特徴である。実際に、近年では和食からフレンチ、イタリアンなど様々な飲食店が豊富に立地するようになった結果として、幅広い年代の方が楽しめる街へと変化しつつあり、“古くて新しい街”として人気を博している。

写真1:飯田橋方面から神楽坂を臨む(筆者撮影)


写真2:階段状で先を見通すことが出来ない立体的な路地空間(筆者撮影)


図1:武蔵野台地の端部に位置しており起伏に富んでいる(地理院地図)


図2:神楽坂周辺の用途地域・鉄道路線(国土数値情報より筆者作成)

◆文学・映画作品が誕生したまち

古くは江戸時代から毘沙門天善國寺の縁日を始めとして、周辺の赤城神社や行元寺と共に発展し、明治期から大正にかけては花街として栄えたこの神楽坂だが、その時期には泉鏡花や夏目漱石、坪内逍遥といった近代文学の祖と言えるような文人が住んでいたことでも知られている。特に夏目漱石は神楽坂に程近い新宿区喜久井町出身で、代表作とも言える「坊ちゃん」には毘沙門天善國寺の縁日が登場している。また、晩年の約10年間は実家近くに住み、日常生活の買い物は神楽坂で済ませていたそうで、執筆に用いていた原稿用紙は、今も神楽坂通り沿いに現存する相馬屋製のものであったという。現在でも店内には夏目漱石が坊ちゃんを執筆後の印税を書き留めたメモなどが展示されており、当時の文人の生活の様子を偲ぶことが出来る。
戦後には映画の製作本数が爆発的に増えたことから、映画会社や撮影所に近い場所にあり、脚本を書くことに集中することが出来るホン書き旅館が重宝されていたが、神楽坂の旅館・和可菜もその一つであり、「男は辛いよ」で知られる山田洋次や「黒い雨」で知られる石堂淑朗など、戦後を代表する映画監督が泊まったことで知られている。残念ながら2015年で閉店してしまったが、現在は隈研吾の指導のもと料理旅館として再建に取り組んでおり、神楽坂の文化的価値を継承していく試みが続いている。


写真3:神楽坂沿いに位置する毘沙門天善國寺(筆者撮影)


写真4:夏目漱石が原稿用紙を買い求めたという相馬屋(筆者撮影)


写真5:兵庫横丁に位置し、多くの名脚本が生まれた旅館・和可菜(筆者撮影)

◆おわりに 〜変化するまちなみと継続する文化〜

この神楽坂という街は、花街として、そして文人・映画監督ゆかりの地として、都心でも有数の文化的価値を有する街であると同時に、商業的開発が継続的に進む街であるということが大きな特徴であり、都市計画ではその両輪のバランスをどのように取るのかが最大の課題である。それらを解決する手段として、新規開発に対しては景観まちづくり計画による景観誘導施策が行われているものの、ガイドラインに従うことで、花街建築の特定の意匠のみを用いたイメージ先行型の建築が増えており、まちなみの真正性に課題を残しているという指摘もある(松井・窪田,2012)。殊にまちなみについては、石畳や路地空間、黒塀等の“神楽坂らしさ“を生み出している要因を正確に見極め、次の世代に残していくための努力が求められている。

◆参考文献

・松井大輔, 窪田亜矢 (2012) 神楽坂花街における町並み景観の変容と計画的課題, 日本建築学会計画系論文集, 77(680), pp. 2407-2414.
・日経新聞, ホン書き旅館 粋な半世紀 https://www.nikkei.com/article/DGKDZO39292270T00C12A3BC8000/
・東京・神楽坂ぶらぶらHP https://www.kaguratour.com/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/%E6%AD%B4%E5%8F%B2/

(文責:大嵜)