写真2:大きな合掌造り
◆白川村の大家族制と妻訪婚
この地域は一家の世帯員数がとても多いことで有名でした.その様子は「白川村の大家族制」と呼ばれたほどですが,実際明治の中頃には一家の世帯員数が40〜50人と30人を超える家が43戸中数戸ありました.
なぜ,一家の世帯員数がこれほど多くなったのでしょうか.それにはこの地方特有の婚姻制度が関係しています.
通常,昔の農村では嫡男による単独相続が原則であり,次男三男以降は養子に行くか,実家の扶養を受け独身で暮らすかしかありませんでした.では,白川郷の婚姻制度は一体どのようなものだったのでしょうか.それは長男が嫡男として単独相続するのは他の地域と同様ですが,次男以降は「妻訪婚」という世界でも珍しい婚姻制度を取っていました.妻訪婚とは結婚後も夫は夫の実家,妻は妻の実家に留まり,日中は実家のために働き夜に妻の元へ夫が通うというものです.世界でもインドネシアなどの数か所でしか報告されていない珍しいものです.妻訪婚では夫婦間の子供は妻の家で育てます.その結果,次男以降も親から独立せず子供を作ることから,一家の世帯数がどんどん多くなっていったと言われています.
◆婚姻制度と土地の関係
ではなぜ,白川村でこのような複雑な婚姻制度が取られていたのでしょうか.この婚姻制度には白川村の山や川に囲まれた地形が深く関係しています.このような地形から分家させるための土地を新たに開墾することが難しい地域でした.また,この地域は焼き畑農業といった労働集約的な農業を行っていたこともあり,多くの労働力が必要かつ分散はさせないということから次男以降も独立させない婚姻制度になったと考えられています.
◆まとめ
以上,白川村の合掌造りのその背景について婚姻制度や地形の観点からみてきました.独特の景観から国内外問わず多くの観光客が集まり賑わう白川郷ですが,その独特の景観には,この地ならではの地形や婚姻制度などの背景があったことがわかります.観光地を訪れた際,このようにその土地の背景などに思いを馳せるのも面白いかもしれません.
◆参考文献
祖父江孝男(1990)『文化人類学入門』中公新書.
(文責:伊神宏昭)