山間部の集落が形成する景観 ―長野県北信地方と福島県会津地方の農村集落―

◆「密度」の論理にかわるもの

日本の国土の四分の三は山間部である.日本の人口の四分の一は山間部に居住する.他方,日本の人口の四分の三は日本の国土の四分の一を占める平野部に居住する.
平野部では,良くも悪くも密度に基づく議論を可能にする.人口密度の多少は都市計画法に基づく市街化区域を画定する際の主要な指標と水準である.市街化区域に指定されれば,用途地域が指定され,建築基準法に基づく建蔽率と容積率,各種斜線制限により,建築形態は敷地単位で規制される.平野部の人口は,日々の生活において,密度と斜線に基づく規制により実現した建築形態とその集合である街路景観に慣れている.
一見すると,山間部の集落においても,密度と斜線に基づいているように思われるだろう.著者も市街地の住民の一人であり,密度と斜線の規制に基づく街路景観に慣れてしまっている.ところが,用途地域の定めのない通称「白地地域」では,2000年に建築基準法が改正されるまで,実質的に上述のような密度と斜線に基づく規制はなかった.それにも拘らず,山間部の集落が形成する景観には,ある種の論理に基づく秩序を垣間見ることができる.
 本稿では,和辻哲郎(1979)の「風土 人間学的考察」と樋口忠彦(1993)の「日本の景観 ふるさとの原型」を基礎として,山間部の集落景観を考察してみたい.

◆「風土」と「日本の景観」

和辻(1979)は,「風土と呼ぶのはある土地の気候,気象,地質,地味,地形,景観などの総称」と定義する.この定義に倣えば,風土とは,気候,気象,地質,地味,地形,景観をそれぞれ基底とする空間の任意の点に対応させることもできるだろう.「風土とは,極言すれば地球上のそれぞれの土地に固有な,唯一のもの」であり,多次元ベクトル空間において一意に定まるとも解釈できる.ところが,ヒトは四次元以上の多次元空間を認知することはできない.さらに厄介なことに,景観も風土と同様に,多数の物的構成要素の集合として認識されるものである.数学では,「次元下げ」という作法がある.樋口(1993)の論考は,風土の「部分空間」に着目することで,風土の難題に切り口を見出している.

樋口(1993)は,日本の景観を,「盆地の景観」,「谷の景観」,「山の辺の景観」,「平地の景観」の四つに分類している.上述の和辻の論考において,風土の基底ベクトルである地形と景観の関係に着目した分類である.和辻は風土を地形や景観を基底とする総称と定義する一方,樋口は地形と景観に主従関係を見出そうとしている.とくに,「山の辺の景観」に関する論考を示唆に富む.「人は,広がりのある場所において,背後による所がないと何となく落ち着かないという傾向」のアナロジーとして,「日本における山を背にした集落の立地傾向なども,あきらかにそうした心理的傾向から生まれたもので,一つの原理といってもよい」と指摘する.

 以降,我が国を代表する哲学者と景観工学者の論考を基礎として,長野県北信地方と福島県会津地方の山間部の集落景観を考察する.

◆長野県北信地方と福島県会津地方

 長野県北信地方と福島県会津地方は,気候,気象,地味,地形において類似する特徴をもつ.冬季は豪雪との闘いである.千曲川や只見川・阿賀川・阿賀野川沿いの川底平野では,米の栽培,標高の高い斜面地では蕎麦の栽培が盛んである.越後山脈と飯豊山地という地形的な「背後」も存在する.厳冬期に両地方を訪れると,まさに水墨画の白と黒の世界であり,赤や青の屋根を見ることで現実世界であると実感する.対照的に,盛夏期に両地方を訪れると,青い空,白い雲と蕎麦の花,濃緑の山,淡緑の田,そして,一見すると厳冬期と変わらぬ佇まいで赤や青の屋根の集落がある.ところが,集落景観を間近で見れば,集落での生活は明らかに屋外へ開かれている.以降,長野県北信地方から三枚,福島県会津地方から一枚の農村集落の写真を選び,「山の辺の景観」,「谷の景観」,そして,これらに分類し難い景観を考察する.

◆山の辺の景観 福島県会津地方

写真1は,福島県喜多方市の旧山都町,飯豊山地で撮影した写真である.時期は初秋.国道459号線沿いには,悪路区間と交互でこのような集落が分布している.悪路区間は山地の中の「山」であり,集落の背後となるものである.


写真1:福島県喜多方市の集落

◆山の辺の景観 長野県北信地方

写真2は,長野県信濃町にて,野尻湖から斑尾高原に向けて上がったところから撮影した写真である.時期は初秋.正面の山は妙高山である.豪雪地帯特有の赤色の屋根とトウモロコシ畑そして空とのコントラストが美しい.写真1と写真2はそれぞれ仰視と俯瞰に相当する.山の辺の景観は,仰視と俯瞰でそれぞれ異なる印象を与えるように思われる.


写真2:長野県信濃町の集落

◆谷の景観 長野県北信地方

 写真3は,長野県飯山市にて,国道117号線(旧道)から,千曲川左岸の河岸段丘を撮影した写真である.時期は盛夏.線状の集落と山の間には千曲川が流れている.典型的な谷の景観であるものの,写真3のように俯瞰すると,山の辺の景観にも思われる点は興味深い.


写真3:長野県飯山市の集落

◆山の辺の景観? 長野県北信地方

 最後に,写真4は,長野県中野市にて撮影した写真である.時期は初秋.川に沿うように道路があり,道に沿って民家が建ち並び,集落を形成する.さらに上ると峠があり,飯綱町の水源地と蕎麦畑がある.麓から集落を仰視すると,集落は点状に分布しているように錯覚する.ところが,実際には地形に沿った道路沿いに,不連続な線状に形成されている.幾筋もの集落を遠くから見ると,点状に分布しているように見えてしまう.
 写真4の集落も,一見すると山の辺の景観の様相を呈しているように思われる.前掲した集落との相違点は,平地と山地の境界部というよりも,峠付近の山肌において線状に形成されている点である.


写真4:長野県中野市の集落

◆おわりに 「線状」の論理

 山間部の集落が形成する景観には,密度や斜線とは異なったある種の論理に基づく秩序を垣間見る.著者が前掲のような集落を多数訪れた実感に基づく限りでは,「線状」という論理が山間部の集落に秩序を与えているように思われる.市街化区域のように「面状」に展開するのではなく,地形の制約により,「面」から「線」への次元下げを余儀なくされたことが,結果として「秩序」にとって代わった.これが本稿の結論である.
 「山の辺」という地形は平地と山地の境界部であり線状である.平地の部分は田畑に充てられ,山地は平地と比較して可住地に適さない.樋口(1993)が指摘するように,山を背にした集落の立地傾向は,広がりのある場所において,背後による所がないと何となく落ち着かないという心理的傾向から生まれた原理であるとともに,可住地としての折衷案という現実的な原理を見出すこともできるだろう.また,山間部の道路を走行していると,交差点はほとんどない.つまり,市街地のように「道路網」ではなく,線状に一本の「道路」が麓から峠まで築かれているわけである.
 このように,山間部の集落は線状に形成され,豪雪地帯に特有の住宅様式と屋根の塗色とともに,「ある種の論理」として,山間部の集落が形成する景観に秩序を与えていると考えられる.確かに,和辻の論考に「次元上げ」したところで,長野県北信地方と福島県会津地方の山間部における集落景観を考察するには,「風土」たる多次元ベクトル空間の部分空間に着目すれば十分かもしれない.その一方で,「風土」が「景観」を含む総称という和辻の定義に基づけば,景観という多数の物的構成要素の総称はあまりにも多くの次元で張られたベクトル空間である.このため,風土の一要素として位置づけるためには,今後も研究を続ける必要がある.

景観の「部分空間」を如何に見出し,景観の難題に切り口を見出すか.

◆参考文献
・和辻哲郎,1979,風土 人間学的考察,岩波文庫.
・樋口忠彦,1993,日本の景観 ふるさとの原型,ちくま学芸文庫.


(文責:薄井宏行)